皆さんこんにちは!
プロ野球ファンのyossaです。
僕は地元球団
大のドラゴンズ好きでもあります。
中日ドラゴンズを広く・深く
応援していきたいと思います。
そして
ちょくちょくと他球団や
懐かしい選手の経歴なども
書いていきたいです!
中日ドラゴンズからドラフト1位指名を受けたブライト健太選手。
そのブライト健太選手の背番号が
『42』に内定したそうです。
ブライト健太選手本人がドラフト会議翌日には
付けたい番号として控えめながら希望していました。
自らの想いが通じた形ですが、
なぜブライト健太選手が『42』に憧れたのでしょうか⁉
そこには特別な理由があったからだそうです。
どんな理由だったのか、調べてみました。
ブライト健太の球歴まとめ!
ブライト健太選手は、高校時代から強打者として、
葛飾野高校時代には2年秋から一塁手としてレギュラー獲得、
高校通算38本塁打を放っています。
上武大学に進学後、伸び悩んでしまいます。
和気あいあいな高校時代と違い、
大学野球の強豪校での環境の変化に戸惑いを隠せず、
一時は実家に帰ってしまったこともあったそうです( ゚Д゚)
しかし、同級生や家族に支えられて無事に野球部に復帰し、
これまで以上に努力したそうです(^O^)
ようやく自分のかたちを掴んだのか、
4年生春の大会で才能が一気に開花します。
元々、ポテンシャルの高さは周りが認めるところで、
コツをつかめばすぐに結果が付いてくるのは当たり前の話ですよね(^ω^)
リーグ戦の成績は
打率.380 3本塁打、19安打 出塁率.426
を記録して
MVPとベストナインを獲得します(^ω^)
その後の全日本大学選手権でも2本塁打を打ち、
ドラフト上位指名選手としての地位を確立します。
https://hochi.news/articles/20211012-OHT1T51090.html
特に全日本大学選手権の一回戦で、
当時大学№1左腕で、4球団からドラフト1位指名を受けた
西日本工業大学の隅田知一郎投手(西武入団)から放った決勝本塁打は
より評価を高めるものでした(^^)/
ブライト健太が『背番号42』を希望した特別な理由は⁉
ドラゴンズから単独指名で入団したブライト健太選手。
ブライト健太選手はなぜ『背番号42』を希望したのでしょうか?
そこには、ブライト健太選手の尊敬している人物に関係があるようです。
その人物とは、
近代メジャーリーグ初の黒人選手として活躍した、
ジャッキー・ロビンソンさんが付けていたからです( ◠‿◠ )
ジャッキー・ロビンソンさんはブルックリン・ドジャースから
1947年4月15日にデビューし、その年の新人王を獲得します。
同僚に握手を拒まれたり、ヤジや脅迫の手紙などの差別を受けながらも、
『絶対に報復しない』を胸に刻みながら、常に紳士的な態度を貫き通すことで、
シーズン終了時には、チームメイト・首脳陣・報道陣から受け入れられるようになったそうです(^^)/
ロビンソンさんの10年間での通算成績は、
1382試合 打率.311 137本塁打 734打点 197盗塁
その後も、首位打者、MVP、盗塁王を獲得しています。
https://thedigestweb.com/baseball/detail/id=13510
その功績は大きく、
白人史上主義の時代に、黒人選手が大リーグでプレーする礎を築き上げてくれました。
1972年には野球殿堂入りを果たした偉大な選手でした。
そんなロビンソンさんの存在を小さい頃から父・ジョンさんに教えられており、
黒人社会を切り開いた人物としてガーナでも英雄的存在だったそうです(^O^)
ブライト健太選手も、あからさまな差別はなくとも、
思い悩んだ時期があったそうです。
そんな時に
映画「42~世界を変えた男~」(2013年公開)と出会います。
ロビンソンさんの半生を描いたこの映画から、
ブライト健太選手は、
『差別が色濃く残る時代で、逆境に立ち向かって成績を残してきた。
そういった姿を尊敬しています』と感想を述べ、
力強く生き抜く姿に強い感銘を受けたそうです(; ・`д・´)
ブライト健太選手が小学生時には、世間から横目で見られることもしばしばあり、
『なぜ自分だけ違うんだろう』と感じていました。
ただ、年齢を重ねるうちに、
『自分の中で、ハーフであることが誇りに代わっていった』そうです。
多感な十代の少年が、自分の中で色々な葛藤がある中で、自分で前向きに昇華できることは、
とても素晴らしいことですよね( ◠‿◠ )
ブライト健太が『背番号42』を希望した特別な理由は⁉球歴まとめ!
皆さんいかがでしたか?
https://www.chunichi.co.jp/article/386016
ドラフト当日にブライト健太選手は、
『ハーフの子供達や、小さい子供達に夢を与えられる選手になりたい』と語っています。
ブライト健太選手自身も、差別に立ち向かい、歴史を変えたロビンソンさんの姿に
勇気を貰ってきたと言えます。
肌の色に限らず、世界の差別に苦しむ人々も勇気を貰ってると言えると思います(^O^)
大リーグでは、ジャッキー・ロビンソンさんの功績をたたえ、
新人王は「ジャッキー・ロビンソン賞」と名付けられています。
大リーグ全球団で背番号42は永久欠番となっています。
また、
毎年、ロビンソンさんがデビューした4月15日は
「ジャッキー・ロビンソン・デー」として全球団の首脳陣と選手が42番をつけて
プレーをするなど、とても偉大な番号となっています。
ブライト健太選手もロビンソンさんのように、
日本球界でも『背番号42』を輝く希望の番号にして欲しいですね(^^)/
ブライト健太選手にはこれからも注目していきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。