皆さんこんにちは!
プロ野球ファンのyossaです。
僕は地元球団
大のドラゴンズ好きでもあります。
中日ドラゴンズを広く・深く
応援していきたいと思います。
そして
ちょくちょくと他球団や
懐かしい選手の経歴なども
書いていきたいです!
2021年も9月下旬となり
我がドラゴンズも今シーズンの残り試合も
30試合を切りました。
優勝どころかAクラスすら無理な状況・・・
今年で3年目シーズンが終わる与田監督ですが
去就はまだ決定してはいないものの、続投は厳しいかも知れません。
いざ交代となると寂しい気もしますよね。
しかし、強いドラゴンズ復活のためにも
次の監督に期待したい気持ちもあります(^^;
ということで、次期監督候補になりそうな
仁村徹2軍監督を調べてみました。
仁村徹の通算成績と入団時は投手だった!?
仁村徹2軍監督の経歴をご紹介します。
出身地 埼玉県川越市
生年月日 1961年12月26日
身長 182cm
体重 82㌔
血液型 AB型
投打 右投右打
ポジション 捕手以外
プロ入 1983年ドラフト2位
初出場 1984年10月 5日
最終出場 1997年10月12日
選手歴 ・埼玉県立上尾高校
・東洋大学
・中日ドラゴンズ(1984‐1995)
・千葉ロッテ(1996‐1997)
監督・コーチ歴
・中日ドラゴンズ(1998‐2004)
・楽天ゴールデンイーグルス(2010‐2016)
・中日ドラゴンズ(2020‐)
プロ入り前
上尾高校では右下手投げの投手として活躍
1979年の春季関東大会決勝では銚子商戦で好投し、
敗戦するも注目される投手となります。
この年の夏の甲子園に出場し、一回戦でのちの
チームメイトとなる牛島和彦投手率いる浪商と対戦します。
http://blog.livedoor.jp/akkidrahard/archives/4963838.html
9回2死まで2-0と勝利目前ながら牛島投手に同点ホームランを浴び、
延長11回で敗北します。
この時の試合は甲子園史上に残る名勝負と言われています。
東洋大学進学後は
3年生時に首都大学野球リーグ・春季リーグで
4季ぶりに優勝に貢献し、最高殊勲選手・最優秀投手・ベストナインを受賞
直後の大学選手権でも準優勝を飾ります。
秋のリーグ戦では2位ながら、連続の最優秀投手とベストナインを獲得します。
一学年上にはのちにドラゴンズでプレーする大野久選手がいました。
大学リーグ通算で75試合登板
29勝19敗 防御率 2.12 155奪三振を記録し
1983年にドラフト2位で中日ドラゴンズに入団します。
1984年10月5日にプロ初登板で初勝利を挙げています。
実は来シーズンから野手転向が決まっており、投手としての
最後の記念登板との意味合いでビハインドからの救援登板、
1回2/3を抑えて白星が付いたとのこと(^^;)
思い出作りで初登板が初勝利とは・・・。
なかなか無い強運ですよね。
ちなみに最後にリリーフで締めたのは牛島投手でした。
https://dragons.jp/teamdata/history/
甲子園で戦ったライバルに助けられてプロ初勝利というのも
プロ野球ファンの醍醐味ですよね(^ω^)
1985年から打者転向し、主に2塁手となります。
野手転向2年目の1986年
9月21日対巨人戦で投手はあの斎藤雅樹投手から
プロ1号ホームランを放ちます。
これが仁村徹選手の
初安打・初本塁打・初打点というおまけつきでした(^^)/
名脇役のイメージが強いのですが、
やってることは意外と大きいですね(笑)
1987年は新監督の星野仙一さんに抜擢され、
122試合に出場し、打率.287で
生涯唯一の規定打席到達を達成します。
1988年は立浪和義選手が入団し、新人ながら正遊撃手となります。
なので玉突きで正遊撃手だった宇野勝選手がセカンドへ
そして仁村徹選手はサードへコンバートされます。
使えるとならば新人でも起用する星野さんはやっぱりすごいですよね(^O^)
そしてレギュラークラスでも交代させられるプロ野球は厳しい世界です(ーー;)
この年は左ひざの故障で出遅れるも92試合に出場、
打率.306 7本塁打、52打点とリーグ優勝に
大貢献します。
この年の仁村徹選手の活躍、特に勝負強い打撃は僕も覚えており
芸術的とも言われる右打ちはファンの心に残るものでした( ◠‿◠ )
主将を務めたりとチームをまとめますが、
ひざの故障再発もあり、年間100試合前後の出場に留まるも
ベンチスタートでは左の川又米利選手と共に
代打の切り札として重宝されました。
1996年に千葉ロッテへ移籍します。
移籍1年目には一塁手として92試合に出場するも
2年目は代打出場がメインになりますが、4番を任される試合もありました。
指導者となるため36歳で現役引退します。
仁村徹選手には、実は珍記録達成もかかっていたのです。
仁村徹選手は捕手を除く8ポジションに出場しており、
もし捕手で出場していたら、のちに全ポジションでの出場を達成した
五十嵐章人選手よりも先に達成していたかもしれないですよね(笑)
その後、ドラゴンズで2軍監督やスカウト、
楽天でも指導者として活躍し
2020年から与田監督の強い要望があり、
再びドラゴンズ2軍監督として復帰しました(^^♪
通算成績(実働13年)
1068試合 3,409打席
打率.273 67本塁打 344打点 25盗塁 出塁率.344
兄もプロ野球選手だった!?
仁村徹選手には2歳年上のお兄さんがおり、
名前は仁村薫さんです。
お兄さんの薫さんも野球選手で
早稲田大学でエースで打力もあり、
1981年ドラフト6位で巨人に入団します。
1984年に外野手に転向するも
1987年に巨人を自由契約となります。
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/baseballonline/sports/baseballonline-097-20190415-11
1988年にドラゴンズに移籍し、
弟・徹選手とともにリーグ優勝に貢献してくれました。
当時のスコアボードは電光掲示板ではなく、
手作りのボードで
『仁村兄=薫』と『仁村弟=徹』と表記されていました。
懐かしいですね(笑)
ちなみに薫選手もプロ1号ホームランで
初安打・初打点・初本塁打を記録しています(^^)/
兄弟そろってプロ1号本塁打で
初安打・初打点・初本塁打を記録しているなんて・・・
プロで同じチームで優勝も出来て、
兄弟でもって生まれた縁があるのですね(^O^)
仁村徹の通算成績まとめ!入団時は投手で兄もプロ野球選手だった!?
いかがでしたか?
現役時代は芸術的な右打ちでチャンスに強く、
バントも巧く、守備もそつなくこなす万能な選手でした。
ファンの期待に応えてくれた
成績以上に記憶に残る選手だった仁村徹選手。
熱い指導者としても経験・実績もあり
荒木雅博現コーチが2000本安打を達成した際、
当時2軍で指導していた『仁村兄弟』を恩人として感謝していました。
井端選手も『2番打者のイロハを叩き込まれた』と言っています。
普段は温和な性格で、インテリな大学教授のようなクールに見える半面、
あの星野仙一をして
「怒ったら俺より怖い」と言わしめたほど、熱血漢でもあります(; ・`д・´)
今の時代、コンプライアンス等で時代が変わっていますが、
昭和の時代の生まれの僕には
『熱い監督』で強いドラゴンズを今一度作って欲しいですよね(^^)/
最後までお読みいただきありがとうございました。