皆さんこんにちは!
プロ野球ファンのyossaです。
僕は地元球団
大のドラゴンズ好きでもあります。
中日ドラゴンズを広く・深く
応援していきたいと思います。
そして
ちょくちょくと他球団や
懐かしい選手の経歴なども
書いていきたいです!
立浪和義新監督新体制の中、落合英二投手コーチがヘッド兼任で始まった今シーズン。
元ヤクルトでPL学園OBの宮本慎也さんやドラゴンズOBの井端弘和さんの招聘に失敗、苦肉の策での落合英二投手コーチの
起用であったと思われます。
(立浪和義の監督就任決定が10月中旬と遅かったのが原因とされていますが)
まだまだ分かりませんが、現阪神ヘッドコーチの井上一樹(いのうえ・かずき)さんが来季ドラゴンズに復帰するのでは!?との情報もあります。
そんな井上一樹さんを調べてみました。
井上一樹が二軍監督で中日復帰⁉
10年振りの中日復帰!?
現阪神タイガースのヘッドコーチである井上一樹さんが中日に復帰する確率はかなり高いと思います!
https://ameblo.jp/kakashiyo/entry-10641726802.html
現阪神監督の矢野燿大(やの・あきひろ)監督から2019年の就任時に、
『チームを作り上げるには一樹しかおらんのや』
と乞われての阪神入団を決断しています。
井上一樹さんは阪神入団の際、
『黄色の血の中に、青の血を入れて化学反応を起こしたい』とコメントしています。
入団してから30年を過ごす、名古屋のファンへの気遣いが伝わってきますよね(^ω^)
背番号の「99」を選んでいるところにも好感が持てます(笑)
中日からトレードで阪神に出された矢野燿大監督から助けて欲しいと言われれば、
中日一筋の井上一樹さんでも、元同僚のためにと動くのは〝男気〟ある行動ですよね(^ω^)
阪神退団は決定的に!?
https://dnomotoke.com/archives/20220104000029/
阪神タイガースのコーチとして6年ぶりに現場復帰した井上一樹さん。
2020年は一軍打撃コーチ、2021年からはより重要な一軍ヘッドコーチを任されます(#^^#)
矢野燿大監督の3年間の成績は、2019年は3位、2020、2021年は2位とAクラスを確保し、ある程度の手腕は評価されていました。
しかし、今年4年目の春季キャンプイン直前の1月31日、前代未聞の出来事が起きてしまいます(=_=)
矢野燿大監督自ら今シーズンでの辞任を発表してしまいます(‘Д’)
このことで、矢野燿大監督の腹心として入閣した井上一樹さんも今シーズンでの阪神退団は
ほぼ決定的となってしまったのです( ゚Д゚)
新チームとなれば、新監督の意向でコーチ陣はほぼ入れ替わりとなりますし、監督に次ぐ立場にあるヘッドコーチともなれば尚更ですよね(~_~)
矢野燿大監督にすれば、背水の陣で頑張ろうという決意表明だったかも知れませんが、
選手やコーチからしたらこのタイミングでの発表は、なかなか受け入れがたいことだったのではないでしょうか( ゚Д゚)
今でこそオールスター前には5割復帰、現在は3位の阪神タイガース。
開幕戦から9連敗を含む17戦1勝15敗1分とつまずいており、シーズン前の矢野燿大監督の辞任発表がなければ、もっと優勝争いに絡んでいたかも知れませんよね(=_=)
物事を伝えるのには、タイミングが大切ですよね(^^;)
井上一樹は現役時代は投手だった?
力士になっていたかも!?
井上一樹さんは1989年ドラフト2位でドラゴンズに入団しています。
(ちなみにこの年のドラフト1位は与田剛前監督!)
鹿児島商業高校時には甲子園にも1回出場しており、投手兼外野手として活躍、高校通算40本塁打を記録していたそうです(^^)/
井上一樹さんは大相撲の寺尾や逆鉾とははとこらしく、その体の大きさ(184cm、93㌔)を見込まれて、
中学3年時には東京の井筒部屋のけいこ場へ見学にも行ったことがあるそうです(^^;)
その当時からアスリートととしての能力は高かったのでしょうね(^^)/
投手として入団するも・・・
井上一樹さんは投手としてドラゴンズに入団しています。
https://twitter.com/6wmbrub3d587nv0/status/1261825276326981632?lang=es
しかし、1年目は「三軍扱い」で支配下選手登録をされていなかったそうです( ゚Д゚)
2年目以降は支配下選手登録されるも、ランニングとブルペンでの投球練習ばかりで、
本人曰く、
『地獄の日々』だったそうです(T_T)
投手としての練習とはいえ、試合にも投げれないとなれば、かなり辛かったのではないでしょうか(; ・`д・´)
プロ入り2年目の5月に一軍でプロ初登板を果たします。
一軍では通算9試合に登板するも0勝1敗、14イニングで19四死球、防御率は6.75という成績でした。
四球が多いのは明白ですが、12奪三振を記録しており、高卒投手としたらまずまずとの思うは僕だけでしょうか(笑)
そんな井上一樹さんに「打者転向」の転機が訪れます。
入団4年目で打者転向!?
井上一樹さんは入団4年目、1993年のシーズン途中に、「打者転向」をします(^^)/
制球難とチームの野手不足、高校時代の強打を買われての外野手挑戦となりました(^ω^)
1994年の若手の登竜門、ジュニアオールスターに出場し、見事にMVPを獲得しています(^^)/
5年目以降は二軍での出場機会が増えることで、
『野球で疲れることや、バッティングで悩んでいることさえ嬉しかった』と話しており、
井上一樹さんが投手よりも野手向きで、尚且つプロ選手に必要な前向きな性格なのが良く分かりますよね(笑)
よっぽど井上一樹さんには、投手の練習は生きてる感じがしなかったのですかね(^^;)
1999年の優勝に大貢献!!
7番打者としてレギュラーを獲得した1999年の井上一樹さん。
チーム史上初の開幕11連勝の原動力となる、開幕から21試合連続安打を記録、中日のセ・リーグ優勝に大きく貢献しました(^^)/
このシーズンから井上一樹さんは、
ピンクのリストバンドを好んで使用するようになり、また、自身の名前から、
「一」を〝ピン〟「樹」を〝キー〟と充てることで、
「一樹」→〝ピンキー〟という愛称でドラゴンズファンから親しまれるようになります(#^^#)
あの当時のピンクのリストバンドをした派手めな井上一樹さんを覚えていらっしゃるオールドファンも多いのではないでしょうか?
ちなみにこの頃、元巨人の松井秀喜さんの活躍もあり、ゾロ目の背番号でもあったことから、
一時期、「青ゴジラ」とも呼ばれていましたよね(笑)
しかし、井上一樹さん本人は嫌がっていたそうです(^^;)
(しかも命名したのが矢野燿大監督との噂が!?)
井上一樹が二軍監督で中日復帰⁉現役時代は投手だった?経歴まとめ!
https://plaza.rakuten.co.jp/kougyokus/diary/200909280000/
皆さんいかがでしたか?
井上一樹さんをより身近に感じられたのではないでしょうか(^^♪
2009年に現役引退した井上一樹さんは、その後、中日で2010年に一軍打撃コーチ、2012・2013年と二軍監督を歴任しており、
今回は阪神タイガースでヘッド職の経験を積んできてくれています(笑)
しかし、来季いきなり中日復帰して即一軍ヘッドコーチ就任というのも野暮な話でもありますので、
立浪和義監督としては、来年は2軍監督で井上一樹さんを、ヘッドには片岡篤史現二軍監督を起用する案が出ていると思われます(^^;)
これからの井上一樹さんの動向に注目して行きたいと思います(^^)/
最後までお読みいただきありがとうございました。