皆さんこんにちは!
プロ野球ファンのyossaです。
僕は地元球団
大のドラゴンズ好きでもあります。
中日ドラゴンズを広く・深く
応援していきたいと思います。
そして
ちょくちょくと他球団や
懐かしい選手の経歴なども
書いていきたいです!
2022年9月13日の対中日戦で55号本塁打を放ったヤクルトの村上宗隆選手。
1964年に記録した王貞治(おう・さだはる)さんのシーズン最多本塁打の日本人記録に、
58年振りに並んだ事はとても大きなニュースとなっています。
村上宗隆選手の活躍により、再び王貞治さんが注目され始めていますよね。
そんな王貞治さんの家族構成を調べてみました。
王貞治の両親はどんな人?
父親は中国籍!?
父・至福さんは中国浙江省(せっこうしょう)の出身で、20歳頃に先に来日していた親類を頼って日本へ出稼ぎにきたそうです。
最初は工場勤めでしたが、料理を覚え、東京都墨田区で中華料理店『五十番』を開業します。
https://ameblo.jp/hoseiyakyuubukenkyuu/entry-12694464931.html
そんな至福さんが王貞治さんに特に教え込んだことが、
「日本に来て、日本に生かされている」という事だったそうです。
至福さんは閉店した後でも近所の人が『何か食べさせて』と来れば、再び火を起こし、ラーメンを作ってあげたり、
町内でいち早くカラーテレビを購入すると、プロレス中継があれば近所の人が観れるようにと店を開放していたそうです(^ω^)
こうした近所づきあいを大切にしたおかげで、王貞治さんは『中国人の子供』としてイジメられることはなかったそうです(^^)/
偉ぶった態度やおごったりして反発を買うことを戒めた至福さんの教えは、現代の人間関係においてもとても大切なことですよね(~_~)
母親は日本人!!
母・登美(とみ)さんは、富山県富山市の出身で、終戦後の1928年に至福さんと結婚しています。
王貞治さんは登美さんのことを、
「若い頃の母は、気が強いが一面ではやさしく、しかも陽気な働き者だった」とし、
「女性のひとつの理想像として映るのは息子の欲目だろうか」と語っています。
ここでエピソードをご紹介します。
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/08/18/kiji/K20100818Z00002310.html
王貞治さんが世界新記録に王手をかけた1977年9月3日ヤクルト戦で、試合前に至福さんと登美さんが巨人ベンチを激励に訪れた際、紙袋を2つ抱えていました。
1つはチームへの差し入れとしてリンゴが入っており、
もう一つには、『もう都会では聞くことも出来ないだろうから』と、
鈴虫を手渡したそうです。
王貞治さんは試合前にロッカーで一人、静かに鈴虫の鳴き声を聞いて精神を集中して試合に臨むことができ、
第2打席で世界新記録となる756本塁打を打てたそうです。
https://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/20201031-OYT1T50076/
差し入れに鈴虫とは、粋というか、なんかおしゃれですよね(^ω^)
風情の分かる大人になりたいものですね(^^)/
父・至福さん、母・登美さんはともに、巨人の関係者と顔を会わせると常に、
「息子がお世話になっています」
「悪いことがあったら叱ってやってください」と常に頭を下げていたそうです。
親が自分の子が周りに迷惑を掛けてないかを心配しながら、周囲の人間にも気を掛けてもらえるように、親が頭を下げる。
そのおかげで子供にとってある程度やり易い環境が出来上がっていくと思います。
試合後の世界新記録のセレモニーでも、お2人はベンチ前でチーム関係者に、
「ありがとうございます」と一人一人握手して回ったそうです(^ω^)
自分もそんな親になれればなあと思います(^^;)
周囲と折り合いをつけ、波風立てぬように生きる至福さんの教えは、『世界のホームラン王』となった今でも、王貞治さんの人柄から伝わってきますよね(^ω^)
王貞治は6人兄弟で双子だった!?
6人兄弟の末っ子!?
王貞治さんは6人兄弟の次男坊として生まれています。
長男・鉄城(てつじょう)さん、長女・幸江さん、次女・順子さんと兄姉がおり、
そして、一卵性双生児として、姉の廣子(ひろこ)さんと王貞治さんが生まれています。
しかし、廣子さんは1歳3ヵ月でジフテリアのため死去してしまいます。
のちに生まれる末妹の佳子さんも生後数ヶ月で亡くなっています。
王貞治さんも仮死状態で生まれたそうで、3歳までは歩くこともおぼつかないほどで、4歳ごろから普通の子のように元気に遊びまわるようになったそうです(^^;)
登美さんからは、
「貞ちゃんの体の悪い所は全部、(双子の姉)の廣子が持って行ってくれた」と教えていたそうです(T_T)
命の尊さ・大切さを教えるには、身内の死が一番伝わりやすいですよね(T_T)
兄は医師に、次男は電気技師に
父・至福さんの故郷は貧しい農村で、医師がおらず、電気もないところだったそうです。
そのため、長男である鉄城さんは医師に、次男の王貞治さんには電気技師になり、兄弟ともに母国に連れてかえり、故郷の村の建設のために役立たせたいと考えていたそうです。
10歳上の鉄城さんは慶応義塾大学医学部を経て、医師となっていますが、
王貞治さんは、プロ野球選手になってしまいましたね(^^;)
電気技師にならずとも、プロ野球を通じて、戦後の復興に夢や希望を与えてくれた
『技術者』となってくれたのではないでしょうか?
王貞治の家族構成まとめ!両親はどんな人?6人兄弟で双子だった!?
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/03/22/kiji/20190322s00001173226000c.html
皆さんいかがでしたか?
王貞治さんをより身近に感じられるようになったのではないでしょうか?
2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では代表監督を務め見事優勝、記者会見では海外メディアから、
『あなたは日本人ですか?』の問いかけに対して、
「父は中国人だが、母は日本人です。私は生まれた時より日本で育ち、
日本の教育を受け、日本のプロ野球人として人生を送ってきました。
疑うことなく日本人です」と答えています。
この王貞治さんのコメントは、日本人としての誇りを感じさせてくれますよね(^^)/
これからも王貞治さんを応援して行きたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。