日記的なまとめ

米村明の経歴まとめ!現在は中日スカウトで現役時代は投手だった!?

米村明の経歴まとめ!現在は中日スカウトで現役時代は投手だった!?

皆さんこんにちは!
プロ野球ファンのyossaです。

僕は地元球団
大のドラゴンズ好きでもあります。
中日ドラゴンズを広く・深く
応援していきたいと思います。

そして

ちょくちょくと他球団や
懐かしい選手の経歴なども
書いていきたいです!

ドラフト会議が行われる秋ごろから
度々新聞紙上でコメントされる
編成部の米村明アマ・チーフスカウト

現在はスカウトとして全国を飛び回っている米村明さんですが、
現役時代の活躍を意外と知らないドラゴンズファンも多いのではないでしょうか。

そんな米村明さんを調べてみました。

米村明の経歴まとめ・現役時代は投手だった!?

まずは経歴からご紹介します。

米村明プロフィール

出身地   熊本県八代市
生年月日  1959年 8月 6日
身長    172cm
体重     75㌔
血液型     O型
投打    左投左打
ポジション 投手
プロ入   1984年 ドラフト5位
初出場   1985年 5月26日
最終出場  1991年10月15日
学校歴  ・PL各園
     ・中央大学
     ・河合楽器
     ・中日ドラゴンズ(1985‐1991)

プロ入り前

PL学園の2年生時(1976年)に控え投手ながら
夏の県大会予選の決勝で先発の大役を任されて
甲子園出場に貢献します。

甲子園準決勝で初登板し、延長11回では決勝犠飛を挙げるなど
準優勝を果たします。

3年時には一学年下の木戸克彦さん(阪神)とバッテリーと組みますが
甲子園出場はなりませんでした。

中央大学へ進学し、東都大学リーグでは
2年時の春季リーグで優勝、
リーグ通算60試合に登板し、
17勝21敗 防御率2.86 230奪三振を記録し、
同期にはプロでチームメイトになる尾上旭さん(中日)がいました。

社会人では河合楽器に入社し、
1984年のロサンゼルスオリンピックの日本代表に選ばれ、
金メダル獲得に貢献します。

代表選手には、
投手では、伊東昭光さん(ヤ)や宮本和知さん(巨)、伊藤敦規さん(オほか)
野手では広沢克己さん(ヤ・巨)や正田耕三さん(広)、和田豊さん(神)がいました。

実は日本代表チームは、アジア枠での台湾との代表決定戦に敗北しており、
オリンピック出場が絶たれていました。

しかし、当時は東西冷戦時代で、アメリカで行われるオリンピックであることから
ソビエト連邦が出場をポイコットし、出場権を獲得していたキューバもこれに同調したことにより、
出場枠に空きが出たことで得たチャンスだったのです(^^)/

予選を1位で通過した日本代表は、準優勝で台湾を2対1で下し、

決勝ではアメリカに6対3で勝利し、

公開競技ながら『金メダル』を獲得し、
初代オリンピックの野球チャンピオンとなりました(^ω^)

米村さんは予選リーグのニカラグア戦で2イニング1失点、
カナダ戦で4イニング1失点と貢献しています。

当時のことを、

『どうやって勝ったか、全然覚えていない。
それぐらい、一生懸命だったということ』

決勝戦もホスト国がアメリカだったこともあり、

『日本の応援団は、日の丸弁当の梅干しくらい』

だったそうです(ーー;)

国を背負ってプレーする異常な状態で、完全アウェイ、
まだまだ日本の野球は評価がされていない時代での快挙でした(^O^)

勝利した代表選手たちには頭がさがりますよね(; ・`д・´)

ちなみに、
韓国代表には「オリエンタル・エクスプレス」と言われた、
郭泰源投手(西)

韓国代表には中日ドラゴンズでストッパーで活躍した
宣銅烈投手がいました(^^;

懐かしいですね(笑)

プロ入り後

1984年のドラフト会議で
中日ドラゴンズ5位指名を受け入団します。

2年目の1986年から主に中継ぎ投手として29試合に登板します。

当時の米村投手の決め球は『パームボール』であり、
米村投手の代名詞でもありました!(^^)!

やっぱり決め球のある投手は『カッコイイ』ですよね(笑)

8月23日の対ヤクルト戦で3回無失点で初勝利を挙げますが、
同時に初打席で初安打・初本塁打・初打点を記録しています。
(史上21人目、投手では3人目)

しかも左翼席に本塁打を放っています(笑)

今の現役のドラゴンズのバッターも見習って欲しいものです(=_=)

ちなみに、初奪三振を記録したのは、
1985年6月1日の対阪神戦で
相手は、ランディ・バース選手からでした。

この年は3冠王+最高出塁率+最多勝利打点を
獲得した時のバース選手でした( ゚Д゚)

やっぱりパームボールで抑えたのですかね(^^)/

バース選手から三振を奪ったことは
相当自信になったでしょうね(*^_^*)

通算成績
130試合登板 255.2投球回数 24先発 3完投(2完封)
14勝9敗 162奪三振 防御率3.77 勝率.609

現在は中日スカウト!

1991年に現役を引退し、
1992年から打撃投手兼サブマネージャと務めます。
2001年からスカウト部へ異動
2018年からアマスカウトチーフになります。

ドラフトでは吉見一起元投手や大野雄大投手、根尾昂選手を担当していました。

中日ドラゴンズの編成部としては
球団を代表?して

1番多くメディアにコメントを出していると思います。

現在の編成部長は松永幸男さんですが、

米村さんには他球団にもいるような

名物スカウトになってほしいですね(^^)/

米村明の経歴まとめ!現在は中日スカウトで現役時代は投手だった!?

皆さんいかがでしたか?
スカウトとして
未来のドラゴンズを担う原石発掘に尽力している
米村明さん

 

米村明の経歴まとめ!現在は中日スカウトで現役時代は投手だった!?         https://www.chunichi.co.jp/article/138157

米村さんは他にも珍記録⁉を持っています。

1988年には7勝を挙げ、
リーグ優勝に貢献した米村投手ですが、

8月3日の対大洋戦で
毎回被安打(10安打)を浴びながらも完封勝利を達成します(^^)/

史上初の出来事だったそうです( ◠‿◠ )

30年以上前の出来事ながら、
当時中学生だった僕もこの記録は
おぼろけながら覚えていました(笑)

時が過ぎて、コーチや監督、裏方さんにまわった方々らの
現役時代を懐かしく思い出すことが出来るのも

長くファンをしているからこそですよね(^^)/

強いときも、弱いときも、中日ドラゴンズを応援していきましょう(^^)/

最後までお読みいただきありがとうございました。