日記的なまとめ

平田良介の経歴まとめ!高校時代は凄かった!サイクルヒットも達成!

平田良介の経歴まとめ!高校時代は凄かった!サイクルヒットも達成!

皆さんこんにちは!
プロ野球ファンのyossaです。

僕は地元球団
大のドラゴンズ好きでもあります。
中日ドラゴンズを広く・深く
応援していきたいと思います。

そして

ちょくちょくと他球団や
懐かしい選手の経歴なども
書いていきたいです!

長打力不足が深刻なドラゴンズにおいて、
右の大砲として期待されていた
平田良介外野手。

5年契約の最終年ながら、
一軍では21試合出場、打率.155、本塁打0本、4打点と結果が出せず、

さらに、2021年10月5日の午前中に、自身のインスタグラムで
『異形狭心症』と診断されたことを公表しました。

午後には中日球団からも発表があり、現在は体調を考慮しながらの
練習を行っているそうです。

16年目の今季は開幕スタメンながらも不調で
4月28日に二軍降格したままです。

来季の契約もどうなるか気になるところですが、

そんな平田良介外野手を調べてみました。

平田良介選手の高校時代は凄かった!

先ずは経歴からご紹介します。

平田良介プロフィール

出身地   大阪府大阪市城東区
生年月日  1988年 3月23日
身長    177cm
体重     87㌔
血液型     B型
投打    右投右打
ポジション 外野手
プロ入   2005年高校生ドラフト1位
初出場   2006年8月26日
学校歴  ・大阪桐蔭高等学校
・中日ドラゴンズ(2006‐) 

プロ入り前

関目(せきめ)小学1年生から関目ジュニアスターで野球を始め、
大阪菫(すみれ)中学生時には大阪北と大島都島のボーイズリーグに所属、

かつてDeNAに所属し、育成出身ながら史上2人目の新人年での初勝利を挙げた
万谷康平さんとは実家が2件隣の、ガチの幼なじみだったそうです。

「万ちゃん」とは小学1年生から中学1年生まで同じ少年野球チームに所属し、
バッテリーも組んだことがあるそうです。

大阪桐蔭高校へ進学して1年夏から6番レフトでレギュラーとなり、
秋の新チームから4番を任されます(; ・`д・´)

同級生の辻内崇伸(巨)さんによりますと、

『平田は大阪では有名で、体も出来ていた』そうで

唯一、入学直後から上級生に混じって練習が許されたそうです(゚Д゚;)

高校入学時ですでに体が出来ていて、中卒ながらすぐに活躍できるとは・・・
おまけに強豪校ですぐにレギュラーになれるとは・・・

かなりの大物ぶりですよね(笑)

平田選手は高校屈指のスラッガーとして着実に結果を残していきます。

2年生時の2004年センバツ甲子園では、二松学舎大学付属高戦では
センターへホームランを放ち、甲子園デビューを飾りますが、
2回戦のダルビッシュ有投手率いる東北高校に惜敗します。

その後、平田選手は本塁打を量産し、プロ注目の選手となっていきます(^^)/

2005年、3年生となり、甲子園最後の夏に平田選手は大爆発します。

平田選手が大注目を浴びるなか、大阪桐蔭には他にも
最速157㌔左腕の辻内投手や、
1年生ながら、投げてはMAX147㌔、ホームランも打てる中田翔選手(巨)もおり、
タレント揃いの優勝候補の筆頭と目されていました。

2回戦の対藤代戦では豪快な3ランを放ち、存在を大きくアピールしますが、

極めつけは、準々決勝の対東北戦では1試合3本塁打を記録します。

1984年のPL学園・清原和博選手以来の史上2人目の快挙でした( ゚Д゚)

この試合の打席の内容は

第1打席  レフトへ先制ソロ本塁打
第2打席  2打席連続で左中間スタンドへ
第3打席  3打席連続を思わせる、右中間フェンス直撃の二塁打
第4打席  逆転2点本塁打をバックスクリーン右へ放つ

この試合で夏の甲子園での、1試合14塁打と大会新記録も樹立しています(^^)/

この大活躍でチームを14年ぶりの甲子園ベスト4へと導きます。

3打席目のライトフェンス直撃の特大二塁打がもし入っていれば、
まさかの4打席連続本塁打だったのでは?と、
悔しがったファンも多かったのではないでしょうか(笑)

僕もライトフェンス直撃弾をテレビで見て度肝を抜かれたことを覚えています(^^;

準決勝では田中将大投手(楽)率いる駒大苫小牧高に敗れ、
最後のバッターとなってしまいましたが、

高校通算では70本塁打、甲子園5本では歴代5位の記録を残しました。

この甲子園では間違いなく、超目玉の存在であり、
多くの人が平田選手の将来に大きな夢を見たのではないでしょうか(^^)/

平田良介選手はサイクルヒットも達成⁉

甲子園での大活躍を引っ提げて
2005年高校生ドラフトで
中日ドラゴンズに単独で1位指名されます。

当時の落合博満監督も

『この年のドラフトでオレが認めたのは平田だけ』
『あれだけ振れる選手はそうはいない。』とコメントし、

『鍛えればオレ以上の打者になる』

期待の大きさを表していました!(^^)!

しかしながら、才能豊かな平田選手でさえ、
プロの壁にぶち当たります。

入団当時から付けていた背番号『8』を当時2年目の大島選手に譲り、
背番号『40』から再出発をします。

高校時代の独特な打撃スタイルは、プロのスカウトでは
評価が分かれていたことは事実です(ーー;)

そんな平田選手ですが、プロで揉まれるうちに、
徐々に走攻守においてその力を発揮し始めます。

2011年、5月22日の楽天戦で自身初の4安打を記録し、
6月4日の西武戦では通算2本目となるサヨナラ本塁打
その翌日の6月5日対ロッテ戦で2試合連続のサヨナラ本塁打を放ち、
個人での2試合連続サヨナラ本塁打は史上8人目、中日球団では初の快挙でした(^O^)

この活躍で自身初の6月の月間MVPも獲得しています。

2013年秋には井端弘和さんの退団に伴い、
空き番号となった背番号『6』を託されます。

その後の平田選手の活躍は

2014年  初の規定打席到達
2015年  WBCSプレミア12の代表に選出。自身初のベストナイン獲得
2016年  6年連続2ケタ本塁打を記録、FA権取得も行使せず残留
2017年  WBc日本代表に選出され、2試合の出場
2018年  サイクルヒットを達成、自身初のG.G 賞も獲得
2019年  プロ通算100号本塁打達成
2020年  プロ通算1000安打達成

2018年の8月16日の対DeNA戦では1番・右翼手で出場すると、
第一打席で先頭打者本塁打を皮切りに、その後の打席で2塁打を2本、
三塁打、最後に左前打であっさりとサイクル安打を決めてしまいます(^^;

プロ野球史上68人目(73度目)の偉業達成でした(^^♪(*^_^*)

自身初の1試合5安打のオマケつきで、この年はキャリアハイの
打率.329を記録しており、同僚のビシエド選手との首位打者争いを
演じた年でもありました!(^^)!

応援している球団からタイトルホルダーが出ることは、とても嬉しいことですが、
出来ることなら、日本人選手に取らせてあげたいですよね(; ・`д・´)

何年か前にも森野選手が1打点差で同僚のタイロン・ウッズ選手に
打点王を持っていかれたことがありましたよね(; ・`д・´)

まあ、助っ人でも日本人でもチームと自分の為に頑張った結果ですからねぇ(^^;

平田良介の経歴まとめ!高校時代は凄かった!サイクルヒットも達成!

皆さんいかがでしたか?

あと、意外と知られていない(覚えていない)ことですが、

あの2007年、伝説の日本シリーズ第5戦での
【山井ー岩瀬】の継投での完全試合達成はあまりにも有名ですが、

ダルビッシュ有投手からチーム唯一の得点である決勝犠飛を放ち、
中日球団では1954年の井上登さん以来の高卒野手2年目の選手が日本一を決める決勝点を挙げていたのです(^^)/

その選手が当時19歳の平田選手だったのです(^^)/

日本シリーズの継投とはいえ完全試合達成のインパクトが強烈すぎて、
平田選手の殊勲打の扱いがちょっと小さかったのでは(ーー;)

しかし、1-0の勝利で、本来なら平田選手の
53年ぶりの日本一の立役者という扱いももう少し欲しかったですよね(^^;

ドラゴンズの功労者である平田良介選手ですが

近年故障などで調子を落としており、ここに来て、狭心症の発症もしており、

現役続行すら危ない状況とも言われています(; ・`д・´)

ドラゴンズファンとしては、

ヘルメットを目深にかぶり、オレンジのバットを持って打席に入る姿を
もう一度みたいですよね(^O^)

平田良介選手の復活を心から応援していきたいと思います!

最後までお読みいただきありがとうございました。