皆さんこんにちは!
プロ野球ファンのyossaです。
僕は地元球団
大のドラゴンズ好きでもあります。
中日ドラゴンズを広く・深く
応援していきたいと思います。
そして
ちょくちょくと他球団や
懐かしい選手の経歴なども
書いていきたいです!
2015年以来6年ぶりの優勝へと
快進撃を続けているヤクルトスワローズですが、
打つ方では村上選手と
投げる方では奥川投手が
ヤクルトの躍進の原動力となっていますよね。
2年連続最下位からの優勝争いが出来る、
そんなチームの采配をしている
高津臣吾監督を頼もしく感じている
プロ野球ファンも多いのではないでしょうか(^O^)
そんな高津臣吾監督を調べてみました。
高津臣吾の経歴と家族構成
高津臣吾の経歴をご紹介します。
出身地 広島県広島市南区
生年月日 1968年11月25日
身長 180cm
体重 75㌔
血液型 A型
投打 右投右打
ポジション 投手
プロ入 1990年ドラフト3位
初出場 1991年 4月24日(NPB)
最終出場 2007年10月 9日(NPB)
学校歴 ・広島県立広島工業高等学校
・亜細亜大学
・ヤクルトスワローズ(1991ー2003)
・シカゴ・ホワイトソックス(2004‐2005)
・ニューヨーク・メッツ(2005)
・ヤクルトスワローズ(2006‐2007)
・ウリ・ヒーローズ(2008)
・興能ブルズ(2010)
・新潟アルビレックスBC(2011‐2012)
監督・コーチ歴
・新潟アルビレックスBC(2012)
・ヤクルトスワローズ(2014‐)
プロ入り前
広島市立段原小学校に入学し、
小学3年生から地元の少年野球チーム
「段原レッドイーグルズ」で野球を始めます。
子供の頃から広島市民球場に通い、大の広島ファンだったらしく、
特に「ミスター赤ヘル」こと山本浩二さんが大好きだったそうです。
広島市内にフグ料理を営む叔母に頼んであの江夏豊さんに
会ったこともあるそうです(^O^)
中学校ではあの張本勲を輩出した
広島市立段原中学校に進学しますが、
当時の野球部は活動があまり盛んでは無かったそうです(゚Д゚;)
『喝!!』ですね(笑)
高校は自宅に近い
広島工業高等学校へ進学します。
チームには県内では有名な上田俊治投手がおり、生き残りのため
フォームをアンダースローに変更します。
1986年には控え投手兼一塁手で、
春夏連続で甲子園に出場しています。
甲子園では代打での出場のみで登板機会はありませんでしたが、
広島大会では4試合で3完投、2完封で甲子園出場には貢献しています。
高校卒業後は
亜細亜大学へ進学します。
同期にはあの小池秀朗投手がおり、
二枚看板として首都大学野球リーグで
4年生時に春秋季で連続優勝を達成します。
全日本大学選手権でも優勝を飾ります。
https://middle-edge.jp/articles/jwPHQ
大学2年生時にアンダースローから
球速を上げるためにサイドスローへフォームを修正し、
この時にシンカーも習得します。
4年生時にはシンカーを三種類を投げ分けられるようになり
高校・大学では常に「2番手」扱いだった高津投手でしたが、
即戦力投手としてプロ8球団に注目される投手になります。
プロ入りでは広島を熱望するも、広島では
『横手投げは獲らない』と言われたそうです(゚Д゚;)
しかし、小池秀朗投手を視察に来ていたヤクルトのスカウトが高津投手に注目、
ドラフト3位でヤクルトスワローズに指名され入団します。
この時のエピソードをご紹介します。
晴れてヤクルトから指名された高津投手でしたが、
2週間近くも放置された状態だったそうです。
というのも、
チームメイトの小池秀朗投手は今回のドラフトの超目玉であり、
史上最多の8球団が競合しました。
ロッテが指名権獲得も希望球団で無かったため断固入団拒否を表明します。
交渉窓口だった当時の亜大関係者が『小池問題』で手一杯の状況だったそうで
ヤクルト側はやむなく高津投手の指名挨拶をを見合わせるしか無かったそうです。
指名から11日後、12球団全指名選手70人中で最後の訪問挨拶でした。
当時のヤクルトスカウト片岡宏雄部長の挨拶もそこそこにいきなり条件も提示します。
指名挨拶だけだと思っていた亜大・矢野監督と高津投手はびっくりしたそうです(笑)
基本的に12球団OKだった高津投手は30分で交渉成立したそうです(^^)/
小池秀朗投手が行きたかった球団に、高津投手が入団しました。
選手として大成したのも、評価の低かった高津投手の方でした。
人生は分からないものですよね(^O^)
プロ入り後
ヤクルト入団後、
2年目までは先発投手として完投勝利も挙げていましたが、
当時の野村克也監督から
『遅いシンカーを投げられないか?』と
当時の潮崎哲也投手(西武)をお手本とした遅いシンカー習得を命じます。
習得後の高津投手は頭角を現し、抑え投手として真価を発揮し始めます。
3年目には球団記録となる20セーブを挙げリーグ優勝に貢献し、
その年の日本シリーズでも3セーブを挙げ胴上げ投手にもなります(^O^)
https://bunshun.jp/articles/photo/8395?pn=1
翌年の1994年には初タイトルとなる最優秀救援投手賞も獲得します。
2003年にFA権を取得し、大リーグへ挑戦します。
ホワイトソックスやメッツで2年間で通算27セーブを挙げるも退団。
2006年は古田敦也監督のもとヤクルトに復帰して日米通算300セーブを記録します。
2007年にヤクルトを退団後は、
2008年、韓国リーグのウリ・ヒーローズ
2009年、SFジャイアンのマイナーリーグ
2010年、台湾リーグの興産ブルズ
2011年、独立リーグの新潟アルビレックスでプレー
2012年、新潟アルビレックスの選手兼監督に就任します。
ほぼ1年おきに所属先を変えながらも現役続行
この経験が今の指導者として生きていると語っています。
2012年監督としてBCリーグ優勝、四国アイランドリーグ香川とのグランドチャンピオンシップも3連勝を飾ります。
同年限りで監督を退任、現役引退もします。
http://depanew.com/wpcontent/uploads/2012/09/ffc50d8ed25d5b0c38ca8b6848e94d89.png
引退試合後には『終球式』が行われ、古田敦也さんに「最後の一球」を投じたそうです(T_T)
現役最後に、プロ生活をスタートさせた時の古田捕手を相手にけじめの一球を投げる。
お二人ともに、万感の想いだったと思います(^^)/
2014年からヤクルトに一軍投手コーチとして復帰します。
リーグ優勝にも貢献し、2017年からは2軍監督に就任します。
2020年から1軍監督に昇格しています。
https://www.daily.co.jp/baseball/2020/04/09/0013259272.shtml?ph=1
妻はどんな人で息子はフジテレビに入社!?
高津投手は元スチュワーデス(客室乗務員)だった
真紀さんと1997年に結婚しています。
http://www.diamondblog.jp/provide/interview/maki_takatsu_interview?pageno=4
真紀さんは大阪出身で高校生時に1年間、
イリノイ州へ交換留学生として行ったことをきっかけに
関西外国語大学のハワイ分校へ通います。
その後帰国したタイミングでJAL(日本航空)の募集があり
見事採用されます。
国際線の客室乗務員としてJALが飛んでいた主要都市に
行かれたそうです(^^♪
世界を飛び回る仕事は憧れともなりますが、
大変だったろうなあと思いますよね(^^;
出会いはよく聞く?機内での出会いかと思いきや、
古田敦也さんの結婚披露宴がきっかけだったそうです(^O^)
結婚披露宴に出席する真紀さんの友達から2次会のお誘いがあり、
そこに高津投手も来ていたとの事。
飲み会が終わった後、たまたま店を出たタイミングが一緒で
もう少し飲もうかと2人で飲みに行き、電話番号を交換したのが
交際の始まりだったそうです!(^^)!
お互いの第一印象としては
『多分、お互いタイプではなかったかと(笑)』と
話していました。
野球に興味がなかった真紀さんは
高津投手を知らなかったとも。
当時は携帯電話もあまり普及しておらず、
お互い忙しいこともあり
連絡手段はなんと
FAXだったそうです(゚Д゚;)
FAXで恋人同士のやりとりって・・・
なんか恥ずかしいって感じるのは僕だけでしょうか(笑)
真紀さんは高津投手のマメなところに惹かれたらしく、
今も変わらずマメらしいとの事です(^ω^)
女性なら、忙しくても常に優しく接してくれる
男性と結婚したいですよね(^^)/
真紀さんは現在
「発達行動障害のある子供たちの学習支援」などのお仕事をされているそうです。
ちなみに、
真紀さんの元同僚に相撲の若花田だった花田花虎さんの元奥さんの
花田美恵子さんがいたそうです(^^;
世間は広いようで狭いですよね(笑)
高津家には息子さんは2人
結婚の翌年、
1998年11月24日に大嗣(だいし)さんが生まれています。
長男の大嗣さんは野球をしていました。
高津投手と同じで
ポジションは投手でサイドスロー
決め球はシンカーらしいです(^O^)
新潟明訓高校に入学し
3年春には県大会に優勝しますが
最後の夏はあと1勝のところで甲子園を逃しています。
2017年に新潟明訓高校を卒業後、
首都大学野球リーグ2部の
武蔵大学経済学部経済学科に進学
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/12/01/kiji/20191201s00001089327000c.html
怪我に泣かされ、目立った成績が挙げられないまま
野球人生を終えました。
大学卒業後は
フジテレビに入社しており、
明るい性格は父親譲りで(笑)
同期でもムードメーカー的な存在らしいです(^ω^)
営業局に配属され、今は番組が作られるまでの過程や
CMを売る事を勉強中なんだとか。
プロ野球選手の夢は叶いませんでしたが、
フジテレビでの活躍を楽しみにしたいですよね(^^)/
次男は3歳年下の翔太(しょうた)さんで
お兄さんと同じく青山学院中学から新潟明訓へと進学
高校生時には目立った情報は無いですが
現在は武蔵大学2年生で野球を続けているそうです。
大学生から飛躍する選手もいますので
ぜひ頑張って欲しいですよね(^^)/
息子達2人とも、父・高津投手を目指して頑張っています。
しかし、偉大な父を持つというのも大変ですよね( ゚Д゚)
ただ純粋に野球を楽しみたいと思っても
周りの目は、「野球選手の息子」ですもんね。
上手くて当たり前みたいな・・・
プロ野球選手の息子さんには頭が下がります(^^;
高津臣吾の家族構成まとめ!妻はどんな人?息子はフジテレビに入社⁉
いかがでしたか?
高津投手の家庭が温かなもので、息子さんたちの
父・高津投手の背中を追いかけ、頑張っている姿には
感動されられますよね(^^)/
また高津臣吾監督は、
大リーグ経験のある選手での一軍監督就任はロッテの井口資仁監督以来2人目であり、
日本の独立リーグ監督経験者のNPB監督就任は史上初でした。
指導者としても活躍を続ける高津臣吾監督をこれからも注目していきたいと思います。