皆さんこんにちは!
プロ野球ファンのyossaです。
僕は地元球団
大のドラゴンズ好きでもあります。
中日ドラゴンズを広く・深く
応援していきたいと思います。
そして
ちょくちょくと他球団や
懐かしい選手の経歴なども
書いていきたいです!
2017年にステージ4の
大腸がんを公表していた
大島康徳さん
最近では肝臓に続き
肺にも転移していることで
再入院されました。
今回は
がん闘病で頑張っている
中日ドラゴンズOBの
大島康徳さんの経歴について調べてみました!
大島康徳さん経歴まとめ
生年月日 1950年10月16日
身長 182cm
体重 85㌔
投打 右投右打
ポジション 一塁手・三塁手・外野手・DH
プロ入 1968年 ドラフト3位
初出場 1971年 6月17日
最終出場 1994年 9月28日
選手歴 ・大分県立中津工業高校
・中日ドラゴンズ(1969ー1987)
・日本ハムファイターズ(1988ー1994)
監督歴 ・日本ハムファイターズ(2000ー2002)
大島さんはなんと
高校入学まで野球経験が無かったそうです!(; ・`д・´)
今津中学時代はテニスやバレーボールをやっていて
バレーボールでは大分選抜チームの
レギュラーに選出されるほどの腕前でした。
当時から体格が良く
相撲部に助っ人でも参加していたそうです。
その相撲大会の観戦に来ていた
中津工業高校の当時の監督に見込まれて
スカウトされたそうです。
大島さんはあまりその気はなかったそうですが
グローブとスパイクをプレゼントされたのが
キッカケとなり同校に進学しました。(^ω^)
入学後は
エースで4番として活躍しました。
甲子園出場はならなかったものの
130m級の本塁打を打った試合を
中日スカウトが目撃しており
これがのちの中日入団の要因となります。
その後
中日ドラゴンズの入団テストを受け
当時の二軍監督の目に留まり合格となります。
投手として入団も当時一軍監督の水原茂に
打者としての
スケールの大きさを見出され
4番打者として育成されることになります。
https://www.jiji.com/jc/d4?p=oya116-img555&d=d4_oo
3年目の1971年では
フレッシュオールスターでMVPを獲得
1972年は初の規定打席に到達して
徐々にレギュラーへと実力をつけていきます(^^)/
1974年はリーグ優勝に貢献
この年の巨人の長嶋茂雄さんの引退試合で
中日選手代表として花束を渡したことは
とても思い出になっているそうです(^O^)
1977年は三塁手でレギュラー獲得
打率.322 27本塁打 71打点を記録しました。
1978年は打撃の好不調が激しいものの
シーズン代打本塁打記録7本の日本記録を達成します。
1979年は全130試合を4番打者で出場
打率.317、36本塁打、103打点とキャリアハイを記録しました(^^)/
1983年は広島の山本浩二さんと共に36本塁打で
本塁打王を獲得しています。
1987年オフに日本ハムへトレード
すでに37歳でした。
トレード後も持ち味の打力を活かして
チームに貢献し
1989年 350号本塁打達成
1990年 2000本安打達成(史上25年目)
1994年に引退します。
https://www.jiji.com/jc/d4?p=oya116-jpp12454318&d=d4_oo
当時43歳で代打出場がメインでしたが
打率.322 21安打 22打点を記録しており
その長打力は衰え知らずでした(^O^)
今のドラゴンズに欲しい
右の代打の切り札ですよね(^^;)
大島さんの成績を
簡単にまとめてみました。
①キャリアハイ
打率.333 (1977年)
本塁打 36本(1979・1983年)
打点 103打点(1979年)
出塁率.407(1977年)
②単年キャリアハイ
①1977年 打率.333 27本塁打 71打点
②1979年 打率.317 36本塁打 103打点
③1983年 打率.290 36本塁打 94打点
1979年は最多安打159本と最多二塁打33本を記録しています。
全130試合出場を6回記録
通算記録(実働24年)
2638試合出場
9227打席、2204安打、打率.272、382本塁打
1234打点、88盗塁、出塁率.350
長く現役をされた
大島さんのすごいところは
① 代打本塁打20本は歴代2位!
② 最年長満塁本塁打記録(43歳6ケ月)
(満塁本塁打は8本打ってます!)
③ 1・2年目の試合出場が無しでの2000本安打達成は史上初!
④ 2000安打達成を達成しながらもベストナイン受賞はなし
⑤ 36本塁打でホームラン王獲得!
⑥ 退場処分が5回経験あり!
⑥ 1イニング2本塁打を2回達成は史上初!
⑦ シーズン最多代打本塁打7本を記録(1976年)
⑧ 1軍初出場の試合で本塁打を記録
当時の最長記録として
2290試合を要しての2000安打達成
現役生活26年は野村克也さんに次ぐ2位
44歳での引退も野村克也さんの45歳に次ぐものでした。
大島さんの
レジェンドな活躍としては
代打本塁打の多さですよね(^^)/
打撃の好不調の波が大きく
守備や走塁も意外とポカがある( ゚Д゚)
しかしそれを補う
長打力を持っている(^O^)
大島さんはそんな魅力的な選手だったと思います(笑)
ホームラン王と監督経験あり!?
現役時代は持ち前の
長打力でホームラン王を
獲得した大島さん
その実績を買われて
2000年から
日本ハムの監督に就任します。
http://www.daily.co.jp/opinion-d/2020/04/23/0013290529.shtml
初年度は3位
2年目は最下位
3年目は5位で解任されました。
監督通算成績
413試合 181勝 225敗 7分 勝率.446
Aクラス1回 Bクラス2回
成績については
積極的な補強も無く
怪我人も続出し
あまり恵まれたチーム状況では無い時期で
不運だったと思われます( ゚Д゚)
しかしこの状況下でのちのレギュラーとなる
森本稀哲や田中賢介を起用し
次代の土台作りに貢献したと言えます(^^)/
監督時代も
熱血漢で知られ
『瞬間湯沸かし器』とまで言われる位で
退場処分も5回のうち
3回が監督になってからでした(^^;)
勝敗のみならず
選手を守る立場からすれば
大島さんらしいと言えます(^_-)-☆
2006年には
WBCの打撃コーチに選ばれます。
https://baseballking.jp/ns/103013
準決勝では
イチローを3番打者での起用を
王監督に進言したのは有名で
世界一に貢献しました。
オリンピック出場の夢をもっていたらしく
金メダルを首に掛けられた瞬間
号泣されたそうです。
本当は、死ぬまで
野球選手でいたかったという
大島さん
指導者としてもその才能を
しっかりと出してくれました(^ω^)
大島康徳さん経歴まとめ!元ホームラン王!?日ハム監督経験もあり?
がんの再発を公表された
大島さん
最近では病院から
自宅療養に戻られたそうです。
お父さんとお母さんも
がんで亡くなっています。
お兄さんも白血病で
28歳の若さで亡くされているそうです。
現役時代
『フルスイング』で
ファンを魅了した大島さん
勝負強い打撃で
がんに打ち勝って
欲しいと思います。
是非とも
病気療養が快方されますよう
切に願っております。
最後までお読みいただきありがとうございました。