日記的なまとめ

山本昌がなぜ【速球派】と言われるのか?実績とともに調べてみた!

山本昌がなぜ【速球派】と言われるのか?実績とともに調べてみた!

2015年に引退するまで

中日ドラゴンズ一筋
現役を32年続けた

山本昌投手。

知らないプロ野球ファンは
いないと思います。

しかし

意外と知られていないのが

山本昌投手は

【速球派】だということです。

山本昌投手の
代名詞と言えば

『スクリューボール』と

言われるほどに

変化球を多彩に操る
イメージを
持っているひとが
多いかと思います。

そこで

山本昌投手が

隠れた速球派投手であることを

調べていきたいと思います!

球速以上にノビのある直球

山本昌がなぜ【速球派】と言われるのか?実績とともに調べてみた!https://baseballking.jp/ns/8619

① 一試合に投げるストレートの割合は45%
(松坂大輔投手とほほ同じ!元阪神の下柳投手は8%)
② ストレートのスピン量が毎秒52回転
(日本プロ野球の平均は38.3回)

山本昌投手の最大の特徴は
『質の高い直球』だと言えます。

理論的にはボールの回転数が多いほど
バックスピンがかかり

いわゆる『ノビ』のある

ストレートになり

山本昌投手の場合は

52回転という

驚異的な数字を出しています。

あの火の玉ストレートの
藤川球児投手は45回転
松阪大輔投手でも41回転であり

山本昌投手の
ストレートのすごさが分かります。

また

独特なフォームから
(ワインドアップモーションの、
両手を天に突き上げるように振りかぶり、
背を伸ばしてから投げる)

カーブとスライダーで
緩急をつけた投球術を持っていたことが
挙げられます。

186センチ、87㎏の大きな体を活かした
豪快なフォームで150㌔が来そうなところで
球速は130㌔台の直球が来るという
ギャップがあり

しかも
打者の手元では

球速の数字以上に

ノビのある球がくるという

そのアンバランスさが

山本昌投手の
直球の秘密のようです。

確かに
藤川球児投手の投げるボールは
球速に見合ったというか、
初速と終速の差の小さい
ノビのある球です。
打者はフルスイングで
(ストレートだと分かっているのに打てない)
空振りしていましたが

対して
山本昌投手の
ストレートについては
対戦打者は
(球速に見合わないノビのある直球が来るので)
打ちづらそうにしていました。

そこへ
多彩な変化球を交えての
『投球術とコントロール』
山本昌投手は
持っており

100㌔前後のカーブで目線を上下にぶらした後
大きな身体と特徴的なフォームから

強烈なスピンの効いた

直球をコーナーぎりぎりに

投げ込んでくるという

そんな配球をされては
なかなか打てないですよね。(; ・`д・´)

40㌔以上の球速差を生み出し、対戦した打者には
130㌔台の速球が150㌔以上に見えたと
思われます。

元巨人の清原選手にも
『日本で一番速い球を投げるのは山本昌や』
とまで言わしめています。

1997年には
最多勝とともに

159個で

最多奪三振タイトルも

受賞しています!

歴代奪三振記録では

2310奪三振数で
歴代11位にランクインしています。

奪三振率は6.20で

決して高くはない数字ですが
積み上げた数字は

素晴らしいものが
ありますよね。(*^_^*)

最年長記録の経歴まとめ

山本昌投手の成績は

最多勝や沢村賞など

数多くのタイトルを
受賞していますが

特に

年齢での
歴代1位の記録が多いです。

日本プロ野球最年長記録

歴代1位タイの実働29年
歴代1位タイの連続勝利23年
50歳57日の試合出場・先発出場
49歳25日で先発勝利・完封勝利
41歳35日でノーヒット・ノーラン達成

その他にも

日本プロ野球の投手での史上最多の通算153犠打、

200勝以上での記録した投手のなかで
通算本塁打0本に終わった初の選手。

プロ野球史上最長の同一背番号(34)着用

確かに

打席での
山本昌選手は
マウンド上とはちがって
とても打てそうな
雰囲気は無かったですよね(=_=)

まとめ

山本昌がなぜ【速球派】と言われるのか?実績とともに調べてみた!https://baseballking.jp/ns/141646

山本昌投手は

球速が速くなかったのに
ストレートにこだわりを持っていました。

それは

『ストレートが唯一ピンポイントで決められる球種』
『投手は変化球よりもストレートを投げるべき』

という考えからであり

山本昌投手本人も

自らを【速球派投手】と

言っています。

投手の基本は

『ストレート』

素人でもプロでも
同じなんですね。(*^▽^*)

山本昌投手は

自分のストレートを
磨き、信じて

数々の
プロ野球記録を

築いていったと
言えます。

『中年の星』とも
称されることも
ありましたが、

いろんな人々に
『夢や希望』を

与えてくれた
野球選手だったと
思います。(^O^)

最後までお読みいただきありがとうございました。