皆さんこんにちは!
プロ野球ファンのyossaです。
僕は地元球団
大のドラゴンズ好きでもあります。
中日ドラゴンズを広く・深く
応援していきたいと思います。
そして
ちょくちょくと他球団や
懐かしい選手の経歴なども
書いていきたいです!
今季から指揮を執る立浪和義新監督の横に
背番号72を付けた恰幅の良いコーチが寄り添うようにいますよね。
立浪和義新監督が招聘した西山秀二バッテリーコーチです。
今回のコーチ陣の中では、立浪和義新監督にとって、
唯一年上の存在で、現役時代は〝同じ釜の飯を食っていない〟人物です。
そんな西山秀二コーチを調べてみました。
西山秀二の出身地は何処?
西山秀二コーチは大阪府八尾市出身です。
大阪の上宮高校に進み、強打の捕手として活躍します。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57067
同級生には小森哲也さん(元中)、
2学年上には、光山英和さん(元近)、1学年上には江本晃一さん(元中)や笘篠賢治(元ヤ)らがいました。
なかなかメンツのそろったチームですよね(^O^)
西山秀二コーチは、中学卒業時に、実は地元・PL学園に行く予定だったそうです!
しかし、訳あってPL学園入学の話が流れてしまいます(; ・`д・´)
この時ばかりは、西山秀二コーチも野球への情熱が少し冷めてしまったそうです(T_T)
しかし、西山秀二コーチには子供の頃からの夢があったそうです。
それは『プロレスラー』なる事だったそうです(笑)
その日のためにヒンズースクワットと腕立て伏せばっかりしていたそうです(笑)
中学卒業したら東京に出て、
『アントニオ猪木の弟子になって新日本プロレスに入りたい』と
親に直談判したそうです(^^;)
親からの答えは、
『高校だけは出ておきなさい』でした。
また、
『自分の出来る範囲で良いから、入れる高校へ行きなさい』と言われ、
当時、親戚のお兄ちゃんや同じ野球チームの先輩も上宮高校に通っていたらしく、
次第に上宮高校に行きたくなったそうです(^O^)
その頃は上宮高校には、特待生制度が無かったらしく、受験で合格するしか入学の道はなかったそうです(^^;)
家庭教師や塾に通い、猛勉強の末、志望する上宮高校へ入学出来たそうです(^O^)
やっぱり野球は頭が良くないと出来ないですよね(^^)/
勉強でもやり遂げるられる人が成功できるのでしょうね。
西山秀二コーチの体格ならお相撲さんでも大成できたかもしれないですよね(笑)
上宮高校から甲子園には出れませんでしたが、
1985年のドラフト会議では、近鉄バファローズと南海ホークスでドラフト4位指名で競合します。
この頃には、プロレスラーではなく、プロ野球選手になりたかったそうです(^^)/
抽選の結果、南海に入団します。
しかし、入団後、1年半で広島カープにトレードされてしまいます(; ・`д・´)
高卒2年目の選手がトレードに出されるのは前代未聞の出来事で、当時の南海球団の幹部が
西山秀二コーチの実家へ謝罪に訪れたそうです。
しかし、西山秀二コーチは人気のセ・リーグに行けることを内心喜んでいたそうです(^^;
捕手というのは、やっぱりしたたかな人が成功するポジションなのかも知れないですよね(笑)
1993年の達川光男さんの引退以降はレギュラー捕手に定着します。
https://www.daily.co.jp/tigers/yoshida/2020/05/31/0013384105.shtml
以後、広島の頭脳と言われる存在感を発揮します(^^)/
2005年巨人に移籍し、2006年の引退までにゴールデングラブ賞やベストナインも獲得しており、
西山秀二コーチは、その当時の古田敦也さん(元ヤ)と同じくセ・リーグを代表するキャッチャーでした(^^)/
西山秀二は中学で桑田真澄とバッテリーを組んでいた⁉
西山秀二コーチは大阪府八尾市大正中学時代、
なんと、
あの桑田真澄(元巨)さんとバッテリーを組んでいたそうです( ゚Д゚)
桑田真澄さんは、中学時代からやっぱりすごかったらしく、
球速は140㌔を超え、直球も変化球も構えた所にほぼ投げ込んできたとの事(; ・`д・´)
中学時代の桑田・西山擁する大正中は群を抜く強さだったそうで、大阪大会のすべてを制覇したとの事です( ゚Д゚)
プロの世界で数多く一線級の投手の球を受けてきた西山秀二コーチが、
『桑田真澄投手が歴代最高の投手』だと言っています。
https://hochi.news/articles/20190729-OHT1T50208.html
南海入団時のエピソードとして、
ブルペンで投手が投げるワンバウンドを見て西山秀二コーチは避けてしまったそうです(^^;)
キャッチャーって、普通、身体でボールを止めますよね(^^;)
西山秀二コーチは、プロの投手がワンバウンドのボールを投げるのか⁉とびっくりしたそうです(^^;)
中学時代の桑田真澄さんの抜群のコントロールに慣れており、
また、バッテリーを組んだ当時の上宮高校のエースは横手投げ投手だったらしく、
西山秀二コーチは投手の投げるワンバウンドのボールを体で止めたことが無かったらしいのです!
このことからも、桑田真澄さんの凄さが分かりますよね(^O^)
そんな凄い投手と中学生から一緒にバッテリーを組んでいた、西山秀二コーチにも凄さが感じられますよね(^ω^)
もしこの2人がPL学園でもバッテリーを組んでいたら、どうなっていたのでしょうかね?
また違った甲子園の歴史が作られていたかも知れないですね(^_-)-☆
西山秀二の経歴まとめ!出身地は何処?中学で桑田真澄とバッテリー⁉
皆さんいかがでしたか?
西山秀二コーチに親しみを感じてもらえたのではないでしょうか(^^♪
https://cc-www2.myjcom.jp/npb/column/20220422.shtml
ドラゴンズOBではありませんが、立浪監督が、自身より年上の人材を置くことで、
逆に意見してくれる人間を側に置いていると思います。
作戦面でも立浪監督に進言し、ヘッドコーチ役も担っているのではないでしょうか?
ひとつ間違えれば、お友達内閣とも言われてしまうコーチ人事。
西山秀二コーチの入閣はそういった懸念を無くしてくれていると言えます(^O^)
これからも西山秀二コーチの貢献を期待したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。