最近、
中日ドラゴンズには
マルティネス投手が
「抑え投手」として
活躍していますが
やっぱり
強いチームには
例外なく
強力な
「セットアッパー」や
「ストッパー」がいます。
ここで
リリーフ一筋20年の
岩瀬仁紀投手の功績を調べてみました。
岩瀬仁紀の経歴紹介
国籍 日本
出身地 愛知県西尾市
生年月日 1974年11月10日(46歳)
身長 181cm
体重 84㎏
投打 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1998年ドラフト2位(逆指名)
初出場 1999年4月2日
最終出場 2018年10月13日(引退試合)
選手歴 愛知県立西尾東高校→愛知大学→NTT東海→中日ドラゴンズ
https://dragons.jp/special/iwase13/
【プロ入り前】
西尾東高校三年生時の夏は愛知県予選は4回戦で敗退するが、
2回戦の三好高校戦で
ノーヒットノーランを達成
愛知大学へ進学
愛知大学リーグでは1年春から
外野手でレギュラー出場
打者として通算124安打は
神野純一(元中日)に次ぐ
リーグ歴代2位
1試合3本塁打や
ベストナインを4度受賞など
大学生時は打者として
注目されていました。
しかし、
安打記録を更新出来なかったことで
「野手としては自分は成功しない」
と野手を諦め
NTT東海に入社してからは
「可能性のある」投手に専念します。
都市対抗野球では
新日鉄名古屋の補強選手として出場
社会NO.1左腕との評価を受けることになります。
大学時代の
あと一本の安打が分かれ道となり
すっぱりと切り替えられるところが
今のレジェンド岩瀬投手につながっているんですね。
でも「岩瀬外野手」としても
成功していたでしょうね(^O^)
今の時代だったら
大谷選手のような
【二刀流】選手になっていたかも。
1998年ドラフト会議では
逆指名し2位で入団
(この年の1位は福留孝介!)
【プロ入り後はセットアッパーから】
1999年開幕戦で初登板
逆転を許しての降板
その試合は勝ちましたが
試合後のミーティングで
星野監督が
岩瀬投手起用を
「おれのミス」とし
ナインに頭を下げたという。
これに岩瀬投手は奮起します。
その後も星野監督は起用し続け、
岩瀬投手も期待に応えて
65試合登板
10勝2敗1セーブ防御率1.57
最優秀中継ぎ投手賞を獲得しました。
この開幕戦の登板、
挫折のデビュー戦が
岩瀬投手の原点だったと言えるでしょう。
新人王は
巨人上原投手(20勝)にさらわれましたが
2003年まではセットアッパーとして活躍
毎年50~60試合を投げ
2001年を除いて
防御率は1点台
最優秀中継ぎ投手賞も
3回獲得しています。
【先発よりも抑えの魅力を感じて】
https://dragons.jp/special/iwase13/
2004年
落合博満監督就任から
「ストッパー岩瀬」が
誕生します。
以後
淡々と9回の
1イニングを抑える、
チームの勝利を決定づける
最後の仕上げとして
マウンドに上がり、
ポーカーフェイスで
セーブを積み上げていきます。
抑えになってからの
主な記録は
①2005年 プロ野球記録新記録の46セーブを挙げる。
②2006年 40セーブを挙げて2年連続の最多セーブを記録。
③2007年 日本シリーズ(日本ハム戦)で継投で完全試合達成(参考記録)
④2009年 41セーブで3度目のセーブ王獲得!
⑤2010年 42セーブで2年連続4度目のセーブ王
(通算250セーブも達成)
⑥2011年 通算287セーブで日本新記録を更新
(通算300セーブも達成)
⑦2012年 33セーブでリーグ最多の5回目を記録、
最年長記録の37歳でのセーブ王となる。
⑧2013年 通算382セーブを挙げ日本人通算セーブ最多となる。
プロ野球史上初の10年連続20セーブ達成
15年連続50試合登板、9年連続30セーブも記録する。
⑨2014年 通算400セーブを達成する
⑩2015年 左ひじ故障のため二軍でも登板無しに終わる。
⑪2016年 史上3人目の通算900試合登板
⑫2017年 日本新記録の950試合登板、最年長記録セーブ記録更新
12年ぶりの月間MVPも獲得
⑬2018年 日本プロ野球史上初の1000試合登板を達成する。
通算成績
1002試合 59勝51敗407セーブ82ホールド 防御率2.31
1002試合登板と407セーブは日本プロ野球歴代最高記録です!
岩瀬投手といえば
相手打者に表情を悟られないよう
「ポーカーフェイス」を
心掛けていたようですが
感情を消すあまり
存在感が薄くなりすぎ
川上憲伸と同伴で
キャンプ地での移動中に
タクシードライバーに
「川上さんのマネージャーさん?」と
間違えられたことがあるそうです。(笑)
まとめ
https://dragons.jp/special/iwase13/
落合博満監督から
【ストッパー】を命じられた
岩瀬投手は
意気に感じて
その役割を果たしてきました。
自分の投球が
チームの勝利に直結する
喜びがある反面
負けにもつながる
怖さも感じながら。
「抑えて当たり前」
「岩瀬が出てきたから勝った」
ファンからすれば
勝って当然の試合を
岩瀬投手は
407セーブ以上の
期待と重圧を
こなしてきた訳です。
チームメイトの
「人生」を背負ってきたとも言えます。
特に
2007年の
日本新記録での
山井投手との継投での
【完全試合】達成は
異様な雰囲気の中で
日本一もかかった
ものすごい
プレッシャーだったと思います。(; ・`д・´)
【ストッパー岩瀬】の
真骨頂を見せてくれた
投球でした。
長いプロ野球の歴史の中で
岩瀬投手ほどの活躍を
魅せてくれた選手は
なかなかいないと
思います。
早くドラゴンズにも
岩瀬投手に次ぐ
ストッパーが
出てきて欲しいです!(^^)/
また
小中高・大学・プロと出生都道府県で過ごした
日本プロ野球史上
唯一の選手でもあります。
コーチ・監督も
ぜひ地元・愛知で
やってほしいですね!
最後までお読みいただきありがとうございました。