皆さんこんにちは!
プロ野球ファンのyossaです。
僕は地元球団
大のドラゴンズ好きでもあります。
中日ドラゴンズを広く・深く
応援していきたいと思います。
そして
ちょくちょくと他球団や
懐かしい選手の経歴なども
書いていきたいです!
https://hochi.news/articles/20240912-OHT1T51219.html
慶應義塾大学の清原正吾(きよはら・しょうご)選手が東京六大学秋季リーグ戦の開幕前日の2024年9月11日に、プロ志望届を提出したことを表明しました。
今年の春季リーグからレギュラーを獲得、13試合に出場して打率.269 チームトップの7打点をマークしており、本塁打は無かったものの安定した一塁守備も評価されベストナインを獲得しています。
この秋のリーグ戦の成績がプロ入りを左右するとも言われています。
『1%でも可能性があるなら挑戦したい』とプロ野球界入りを熱望、
『結果がどうであれ、やらない後悔だけはしたくない』とも語っています。
NPB歴代5位の通算525号本塁打を放った清原和博さんを父に持つ、そんな清原正吾選手の球歴を調べてみました。
清原正吾はいつから野球を再開?
大学進学と共に野球を再開!?
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/08/23/kiji/20230823s00001002653000c.html
清原正吾(きよはら・しょうご)選手は、慶應義塾大学進学と共に野球を再開しています(^^)/
2021年の大学進学の際、清原正吾選手自身の最後の学生生活になるという事から、先ずは今まで育ててくれた両親に恩返しがしたいという想いが心の中に第一優先としてあったそうです。
https://nishispo.nishinippon.co.jp/article/848544
薬物依存から立ち直ろうとし、糖尿病とも闘う父・清原和博さんの背中を押し、清原正吾選手自身が野球をすることで社会復帰をし始めている父の人生を活気づけてあげてあげたいとの想いから慶應義塾大学で野球をすることを再開しました。
大学から再び始める、しかも東京六大学野球の名門にして強豪・慶應義塾大学ともなると、かなりの決意が無いと出来ないでよね!
親の為とはいえ、清原正吾選手はすでに半端ない野球選手と言えますよね(^ω^)
https://mainichi.jp/articles/20210913/k00/00m/050/259000c
清原正吾選手は慶應幼稚舎(小学)三年生からオール麻布で野球を始めており、元プロ野球選手である父・清原和博さんのようにプロ野球選手になるのが夢だったそうです(^ω^)
https://www.daily.co.jp/baseball/2021/02/02/0014048862.shtml
6歳だった2008年、オリックスに所属していた父の引退セレモニーにも出席しています。
当時住んでいたマンションの部屋で新聞紙をガムテープで丸めて、プラスチックバットで打ったり、お台場の公園で清原和博さんの自主トレに付き合ったりもしていたそうで、父について歩く可愛い息子だったのが分りますよね(*^_^*)
意外なのは、その頃から、バッティンの技術的な事よりも、『センター返し』や『リラックス』と基本的な事を教えて貰ったそうで、細かい事よりも好きな気持ちで清原正吾選手に野球に取り組んで欲しいという清原和博さんの親心だったのかもしてませんよね(^^;
小学4年生でチームの中心選手となり、高学年では4番で一塁か二塁を守っていました。
ホームランもかなり量産していたそうですが、普通の金属バットを使用し、『高反発』と言われるバットは一度も使った事が無いそうで、そこはこだわっていたそうです(^^;
子供の頃から既に野球に対するプライドみたいなものを持っていることはすごいですよね(^^;
しかし、清原正吾選手は慶應義塾中等部に進学と共に野球を辞めてしまいます。
父・清原和博さんの薬物問題が影響!?
清原正吾選手が慶應義塾幼稚舎(小学)高学年の時に、父・清原和博さんの薬物騒動が起きてしまいます( ゚Д゚)
6年生だった2014年には両親である清原和博さんと亜希さんが離婚、慶應義塾中等部に進学と共に野球から離れてしまいました。
その騒動の影響で家から出られない状況が続いたそうで、あの頃の事を清原正吾選手は、
「一度は父親が嫌いなり、野球からも目を背けたくなった」そうです。
多感な思春期の頃のこの出来事は、かなり大変だったのではないでしょうか(; ・`д・´)
しかし、学校は一日も休まずに通ったそうです(^^)/
それが出来たのは、通っていたのが慶應だったというのが大きな要因だったそうで、慶應の学生は、
「中学生でもどこか品があって、状況を理解して大人のような気遣いをしてくれた」ことで、普通の学生生活を送れたそうです(;^ω^)
『お坊ちゃま学校』なんて言われることもあるかも知れませんが、やっぱり格式のある、素晴らしい学び舎なんでしょうね(^ω^)
親としては、とりあえず学校に通ってくれるのが一番安心出来ますよね(^^;
中学ではバレーボール部!?
野球から離れたかった中学時の清原正吾選手は、同級生に誘われてバレーボール部に入部しています!
子供の頃からどんなスポーツでもそれなりにこなし、学校のスポーツテストでは常に学年1位だったという清原正吾選手ですが、バレーボールは初心者だったので最初は上手く出来なかったそうです。
清原正吾選手は、出来ない事はまず、『もの真似』から始めるそうです(^ω^)
できる人の動作を見て、イメージを頭に落とし込み、それを体で表現出来るように練習を繰り返すのだそうです(; ・`д・´)
努力の結果、チームのエースアタッカーとなり、バレーボール部でも中心選手として活躍したそうです!
清原正吾選手の身体能力が高さに加え、モノマネで自分のモノに出来てしまう、観察眼があることも分かりますよね(^^;
清原正吾の高校成績は抜群だった!?
アメフトでのポジションはTE!?
清原正吾選手は慶応義塾高ではアメリカンフットボール部に入部、MVPに選ばれるなど、球歴としての高校成績は最高だったと言えます!
慶応義塾高のアメフト部は1935年創部と日本一にもなった事がある名門であり、部員数も多いながらも、清原正吾選手は2年生でレギュラーを獲得、ポジションはそのチームで一番身体能力が高い選手が任される、攻撃の要である『タイトエンド』だったそうです( ゚Д゚)
3年時には神奈川選抜チームに選出され、選抜チーム同士の大会では2大会連続で最優秀選手賞を獲得するなど、アメフト界ではかなりの超有望選手だったそうです(^^;
https://me-log-ia.com/kiyoharashogo-amefuto-position/
大学でもアメフトを続けていたなら、手の付けられない選手に成長し、ゆくゆくは日本代表選手にもなれた逸材だったそうです。
慶応義塾大学部では清原正吾選手の入部を心待ちにしていたそうで、清原正吾選手を中心としたスペシャルプレーまで用意していたそうです(^^;)
アメフト界でこれほどまでに期待されていたことからも並大抵の選手では無かったことが分かりますよね( ゚Д゚)
アメフトで活躍する清原正吾選手も見てみたかったですよね(^^;
しかし、清原正吾選手が自分で選んだ道ですから、応援してあげたいですよね(^ω^)
ちなみに清原正吾選手の慶応義塾高の学業成績は、留年をしていないことから、勉学の方も相当頑張っていたと思われます。
弟の勝児さんは留年してしまっていますが、勝児さんにもこれからの活躍を期待したいですよね(^ω^)
清原正吾はいつから野球を再開?高校成績は抜群だった!?球歴まとめ
https://victon.jp/kiyohara-katsuji/
皆さんいかがでしたか?
清原正吾選手をより身近に感じられるようになったのではないでしょうか?
家族の為にもう一度野球を始めた清原正吾選手。
本来なら父・清原和博さんの薬物問題の時に家族がバラバラになってもおかしくない状況であったと思います。しかし、今現在も良好な親子関係でいられることは、長男である清原正吾選手の存在がかなり大きいのではないでしょうか(^^)/
清原家の長子として生まれた理由がそこにあるのかも知れません。
清原正吾選手には是非ともプロ野球選手に成って欲しいですよね(^ω^)
どうしてもプロ野球選手になった清原正吾選手を観たいという野球ファンも多いですよね(笑)
右のロマン砲としてドラゴンズが指名して欲しいと思うのは僕だけでしょうか?
ちなみに清原正吾選手は大学野球をやり切ったあと、ドラフト指名されなければ現時点では社会人野球は考えていないそうで、海外の独立リーグに興味があるそうです。
これからの清原正吾選手の動向が気になりますよね!
最後までお読みいただきありがとうございました。