日記的なまとめ

与田剛の経歴まとめ!記憶に残る最速157㌔伝説の剛速球ストッパー

与田剛の経歴まとめ!記憶に残る最速157㌔伝説の剛速球ストッパー

与田剛監督
勝負の
3年目のシーズンが
始まりました。

「迷」采配なんて
言われるときも
ありますが

ドラフト会議での
『くじ運の強さ』や
『若手起用』では
低迷期から脱しようとしている
ドラゴンズに
貢献していると
思います。

若手の成長を
ファンとしては
待ち遠しいところですが

与田剛監督の
若い頃を
調べてみました。

与田剛の経歴紹介

与田剛のプロフィール

国籍 日本
出身地 千葉県君津市
生年月日 1965年12月4日
身長 182cm
体重 84㎏
投打 右投右打
プロ入 1989年ドラフト1位
初出場 1990年 4月7日
最終出場1999年10月2日
選手歴 木更津中央高校→亜細亜大学→NTT東京→中日ドラゴンズ
→千葉ロッテ→日本ハム→阪神
監督・コーチ歴
サウザンリーフ市原
楽天ゴールデンイーグルス(2016-2018)
中日ドラゴンズ(2019ー)

【プロ入前】
お父さんが大の巨人ファンで
小学生の頃から野球に親しみ
その当時から投げる球は
速かったらしいです。(^O^)

木更津中央高校(現木更津総合)で
甲子園出場は無かったですが
強豪校からも
一目置かれる投手でした。

亜細亜大学では
通算1勝のみ
3年時に血行障害で手術

高校時代からの投球過多の影響で

中指と人指し指の手のひら側に
筋肉が付き過ぎての症例らしく

医者もどれだけ投げたら
こんなところに筋肉が付くのか
びっくりしてたとのこと

高校時代には
毎日最低300球、多いときは
1000球も投げていたらしく

今の時代ではナンセンスですが

当時の与田投手は
「体で覚えるしかない」
ひたすら練習した結果でした。(; ・`д・´)

手のひらに血行障害になるほど
筋肉が付くなんて想像できないですよね

NTT東京に入社してから
頭角を現し、
日本代表に選出されます。
1989年のキューバ戦の好投から
評価を不動のものとします。

野茂英雄や潮崎哲也ら
大豊作の1990年入団組で
中日ドラゴンズに
単独1位指名で入団します

(当時野茂英雄に8球団が競合)

お母さんの面倒をみるため
在京球団、
特に西武ライオンズが
希望だったらしいです。

昭和40年生まれでは
古田敦也、池山隆寛、星野伸之がおり
そしてあの
山本昌投手も同い年!(笑)

プロ初球はサインミス!?

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当初は
先発での起用予定が
当時の抑え役の
郭源治が故障で離脱し

星野仙一監督から
ストッパーに抜擢されます。

1999年4月7日
大洋戦で
初登板

同点の11回
無死1・3塁での大ピンチに
リリーフで
マウンドに上がります。

捕手中村の要求したボールが
直球に対し、

与田投手はフォークと勘違い

力んで投げてしまい、
ショートバウンドを
中村捕手が必死で捕球してくれました。

のちに
プロ初球が暴投という記録を
消してくれたと
今でも
中村捕手に
感謝しているとのことです。
(^_-)-☆

ちなみに
この試合では
自己最速の
153㌔を出していました!

アマ時代でも
149㌔

しびれる展開で
自分の力が
それ以上に出せる選手が
やはり一流ですよね(^^)/

リーグ最速157㌔を記録

与田剛の経歴まとめ!記憶に残る最速157㌔伝説の剛速球ストッパーhttp://gfan.hatenadiary.jp/entry/2018/10/11%E3%83%BC2/Pawananb%C4%81
この年の8月15日
広島戦で
その当時

日本人最速の
『157㌔』を記録し

セ・リーグ新人での初の2ケタセーブを達成

シーズン31セーブを挙げ

新人王と
最優秀救援投手賞を獲得
オールスターでもファン投票1位で出場

新人王争いでは
広島の佐々岡真司投手が
先発を抑えの両輪で
44試合13勝17セーブ

対して

与田投手が
50試合4勝31セーブ

開けてみれば102票の得票で
ダブルスコアで圧勝

ファンにも記者にも
与田投手の放つ
剛速球が

記憶にも
記録にも

残った瞬間でした。

新人セーブ記録も
2015年に
横浜の山崎康晃投手が更新するまで
25年間破られませんでした。

通算成績
148試合(247回1/3)
8勝19敗59セーブ 212奪三振 防御率4.58

まとめ

与田剛の経歴まとめ!記憶に残る最速157㌔伝説の剛速球ストッパー
http://www.zakzak.co.jp/spo/news/180205/spo1802050003-n2.htm

プロ入り
1年目の成績が

キャリアハイという

素晴らしい数字を
残した半面

その後、
ケガとの闘い

トレード、
テスト入団を経て

ボロボロになるまで
現役を続けました。

その経験は
指導者になってからも
活かされていると
思います。

新人王獲得者が
テスト受験をしてまで
現役を続けることは
その当時では
ありえないこと
だったらしいです

あの
『燃える男』
星野監督の
『鉄拳』を
受けなかったのは

立浪和義選手と
与田投手の

二人だけだったとも
言われています。

そのことからも
『熱いもの』を
持っていることが
感じられますよね。

今のドラゴンズにも
与田投手の
現役時代を
思い出させてくれるような
熱い選手が
出てきて欲しいですよね(^O^)

最後までお読みいただきありがとうございました。