皆さんこんにちは!
プロ野球ファンのyossaです。
僕は地元球団
大のドラゴンズ好きでもあります。
中日ドラゴンズを広く・深く
応援していきたいと思います。
そして
ちょくちょくと他球団や
懐かしい選手の経歴なども
書いていきたいです!
https://www.tokyo-np.co.jp/article/239550
2023年第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)において日本代表を2009年の第2回大会以来14年振りの世界一へと導いた栗山英樹(くりやま・ひでき)監督。
日本ハムの監督時代を10年間務め、2度のリーグ優勝、日本一1度と実績があり、CSも5回出場していることから短期決戦を多く経験、一発勝負の戦いが続くWBC監督に適任として、2021年に侍ジャパン新監督に就任していました。
それに加え選手を下の名前で呼ぶなどコミュニケーション能力も高く、敗戦後のインタビューでは『オレが悪い』が口癖で、厳しい選手批判はせず、常に選手をリスペクトする選手想いの監督でした。
〝選手ファースト〟で『歴代最強日本』の強さを存分に引き出し、7戦全勝で初めて無敗でのWBC完全制覇を成し遂げた栗山英樹監督。
そんな栗山英樹監督の家族構成を調べてみました。
栗山英樹の父は亡くなっている?
父親は星一徹!?
栗山英樹(くりやま・ひでき)さんの父・正彦さんは亡くなっています。
死因などの情報は出ていませんが、2005年に74歳で他界されています。
父・正彦さんは小平の少年野球チーム『富士見スネークス』の創始者であり、栗山英樹さんは小学1年生から父親が監督を務めるチームの一員となっていました。
当時は巨人の星のようなスパルタ式の練習だったそうです( ゚Д゚)
今となっては想像できませんが、昭和の時代ではよくあったのではないでしょうか(ーー;)
栗山英樹さんは家庭でも厳しくしつけられ、食事中に正座を崩すとご飯を庭に捨てられたそうです(T_T)
ここまでくると、しつけの為なら食べ物を粗末にして良いのかよく分からなくなりますが(^^;)
指導者への道を目指すも!?
栗山英樹さんが高校生の時に、父・正彦さんから、
「プロ野球選手より指導者を目指せ」と勧められます。
国立である東京学芸大学に進学、教育学部で教員を目指して在学中に小中高の教員免許を取得、卒業後は教壇に立つことを目標としていました。
https://www2.myjcom.jp/npb/column/20161111.shtml
しかし、4年生時にプロ野球選手になる夢が再燃、社会人チームの朝日生命の内定と取り付け、その後、練習試合で佐々木信也さんの目に留まり、プロ入りを勧められ、今では無くなった制度ですが、入団テストを受けてヤクルトスワローズへのドラフト外入団を勝ち取ります(#^^#)
東京学芸大学では入学時から硬式野球部に所属し、少しレベルが落ちるといわれる東京新大学野球連盟ながら通算成績は投手としては25勝8敗、打者としてはリーグ史上3位となる打率.389を記録という桁外れの成績を出したことで子供の頃からの夢に挑戦したくなったのではないでしょうか(^^)/
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f45931835ee2c25e2185e55adb7f5ebb74ca2eb
僕が思うに父・正彦さんは幼いころからそのプレーを観てきており、プロ野球選手では大成する可能性が低いと感じて栗山英樹さんに指導者への道を勧めたのではないかと思います。
しかし、苦労してプロ入りの夢をこじ開けた栗山英樹さん。
この経験がのちに大谷翔平選手を日本ハム入団へと誘い、指導者としての選手ファーストの想いが形成されたのかもしれませんね(^ω^)
父の遺言とは!?
わずか7年での現役生活でしたが、自分の夢を叶え、プロ野球選手となった栗山英樹さん。
難病であるメニエール病を患いながらも1989年に規定打席到達とゴールデングラブ賞を受賞しています。
大学生時代に痛めた右肘痛の再発もあり29歳の1990年限りで引退となってしまいますが、
父・正彦さんは栗山英樹さんに指導者としてプロ野球界に恩返しを願っており、父・正彦さんが他界された2005年からその6年後の2011年11月に日本ハムの監督に就任しています。
正彦さんの遺言で、
「50歳になったら、またユニホームを着て欲しい」と言われていたそうです。
自分と同じく、指導者として野球への恩返しを栗山英樹さんに望んでいたのでしょうね。
https://www2.myjcom.jp/npb/column/20210413.shtml
父の言葉通りに指導者へと導かれ、のちに日本ハムに入団する大谷翔平選手との出会いももしかしたら偶然ではないのかもしれませんね(^ω^)
親の想いを受け継ぎついでいる栗山英樹さんは素晴らしいですよね。
母親は1人暮らし!?
栗山英樹さんの母親は東京で1人暮らしをしているそうです。
栗山英樹さんの母親は一般人ということで情報はありませんでしたが、
栗山英樹さんは東京都小平市で生まれていますので、多分栗山英樹さんの母親も今もその実家に住まわれているのではないでしょうか。
2023年5月で栗山英樹さんは62歳ですので、推測すると90歳前後のお歳になっているのではないでしょうか。
栗山英樹さんが教員を目指した理由の一つに、母親から、
「先生になれば、ずっと大好きな野球に関わっていられるじゃないの」と勧められたことも一因になっているそうです(^ω^)
見ていないようで、親は子供を良く見ているものですよね。
そんな母親に栗山英樹さんは心配なのかよく電話をかけているそうです。
息子としては年老いた母が1人暮らしをしているのはやっぱり心配ですよね(ーー;)
親が生きているうちしか聞けない事もあるので、些細な会話でも大事にしたいですよね(*^_^*)
親から言いたい事もあるかも知れないので、出来れば積極的に連絡を取り合うようにしましょう(^^;)
栗山英樹の兄も教員だった!?
兄は教師であり人生の先輩!?
栗山英樹さんには3歳上のお兄さんがいます。
お兄さんも一般人ということで情報は特別ありませんでしたが、
栗山英樹さんの著書の中に、
「兄が話していたとおり、教師という職業は魅力に溢れていました。」と話していますので、
栗山英樹さんのお兄さんは教職に就かれていた可能性が高いと思われます。
子供時代に少年野球チーム『富士見スネークス』で野球をすることになったのもお兄さんが先に所属していたことが大きかったそうで、大学進学でも東京学芸大学を選んだのもお兄さんが先に入学していたからだそうです。
栗山英樹さんが、お兄さんについていけば間違いないと思っていたかは分かりませんが、間違いなく栗山英樹さんの先達者となっていたのではないでしょうか(^^)/
人にその仕事の素晴らしさ・魅力・やりがいを伝え、広めることができるのが素晴らしい指導者だと思います。
年齢的に既に退職されているかもしれまんが、栗山英樹さんに存分に教師の魅力を伝えられるお兄さんも素晴らしい指導者だったのではないでしょうか(^^)/
栗山英樹さんの過去に黒歴史!?
日本のプロ野球監督経験者で、国公立大学出身・大学教授の経歴を持つ史上初の指導者である栗山英樹さんですが、実は現役引退後にCDを2枚リリースしています(^ω^)
当時からイケメンだったせいか、引退後も人気があった栗山英樹さん。
引退後に転身したキャスターとしての発声練習の際、歌にした方がしっかり声が出るということでヤクルトファンであったさだまさしさんが作詞作曲をしてくれたそうです(*^_^*)
栗山英樹さんにとってはとても恥ずかしいので、『黒歴史』のように歌手デビューの事は今はものすごく隠しているそうです(笑)
歌手デビューしたことのある世界一監督も史上初かもしれませんね(^ω^)
栗山英樹の家族構成まとめ!父は亡くなっている?兄も教員だった!?
https://news.yahoo.co.jp/articles/4540dd64d10d1ae78f67e551f510af64460b64b3
皆さんいかがでしたか?
栗山英樹さんをより身近に感じられるようになったのではないでしょうか?
今月5月末で侍ジャパン監督の任を解かれる栗山英樹さん。
次回のWBC第6回大会は2026年に開催予定となっています。
前回大会優勝国が準決勝・決勝のホスト国になるべきだとの議論も出てきており、次回は日本で開催される可能性もありそうです。
栗山英樹さんは今後の『肩書』が無いことで名刺作成に困っているそうです。
侍ジャパン監督続投がWBC連覇の最大の補強となるかも知れませんね(^^)/
最後までお読みいただきありがとうございました。