皆さんこんにちは!
プロ野球ファンのyossaです。
僕は地元球団
大のドラゴンズ好きでもあります。
中日ドラゴンズを広く・深く
応援していきたいと思います。
そして
ちょくちょくと他球団や
懐かしい選手の経歴なども
書いていきたいです!
現役時代の27年間で中日・オリックス・楽天と渡り歩き、
現在はプロ野球解説者として活躍する山﨑武司(やまさき・たけし)さん。
その山崎武司さんが某ドラゴンズ応援番組の放送中、
母校である愛工大名電高校が夏の甲子園出場を決めたことを喜んでいました。
現役時代の山﨑武司さんと言えば、豪快なスイングでNPB通算403本塁打を記録、
本塁打王2回、打点王1回を獲得、史上3人目のセ・パ両リーグでの本塁打王を達成しており、
ファンからは豪快な打撃と共に、ジャイアンという愛称でも親しまれていました。
そんな山﨑武司さんの高校時代を調べてみました。
山崎武司は名電高校時代はピッチャー志望だった?
あの山﨑武司が投手志望だった!?
1986年ドラフト2位でドラゴンズに入団した山﨑武司さんですが、
強打を買われて捕手として入団しています。
しかし、
高校時代の山﨑武司さんは投手が一番やりたかったそうです(^^)/
その理由は、遠投で120mを投げることができ、肩の強さに自信があったのです( ◠‿◠ )
しかし、当時の愛工大名電高校野球部の中村豪監督から、
「やらんでいい。お前は打つ方でいけ」と
言われたそうです(^^;)
https://www.asahi.com/articles/ASQ7H3CCSQ6RUTQP01B.html
後々の事を思えば、大正解ですよね(^ω^)
山﨑武司さんも、
「打者の適性を見抜いてくれていたのかな。投手だったらどうなっていたか(笑)」と、
語っています。
人生を良い方向へと導いてくれる出会いをしたいものです(*^_^*)
名電にスカウトされた!?
山﨑武司さんは、愛工大名電高校のセレクション(入団テスト)を受けて入学したそうです(^^;
山﨑武司さんの中学時代は、『4番・捕手』だったのですが、なんと本塁打はゼロ本だったとの事(; ・`д・´)
所属していたチームも地区大会一回戦で敗退するようなチームで、実績も全くなかったそうです。
当然名電高校からお誘いは無かったそうです(=_=)
しかし、当時からプロ野球選手になりたい気持ちが強く、愛知の私学4強(名電、享栄・東邦・中京高校)の中でも、
特に名電高校にはプロ野球選手を多く輩出している印象が強く持っていたそうです(^^)/
どうしても名電高校に行きたかった山﨑武司さんに幸運が巡ってきます。
なんとたまたま山﨑武司さんのお兄さんが名電高校に教職課程のため教育実習に行っており、
そのお兄さんの担当教師が現在の野球部監督の倉野光生さんだったそうです(*^_^*)
お兄さんが倉野光生さんに頼み込んだ事で、セレクションを受けることが出来たのでした(#^^#)
そして見事、セレクションを合格できたそうです(^^)/
お兄さんに感謝しつつも、運を手繰り寄せ、チャンスをものに出来たのは、
山﨑武司さんの実力ですよね(^ω^)
山崎武司の高校時代は実は巨人ファン⁉
子供の時から巨人ファン!?
愛知県知多市出身で、幼少期からナゴヤ球場へ足を運んでいた山﨑武司さん。
しかし、山﨑武司さんは巨人ファンだったそうです(; ・`д・´)
理由は2つあったらしく、
九州出身だったお父さんの影響と、周りの友達がほとんどドラゴンズファンだったそうです(^^;)
山﨑武司さんの
「他人と同じが嫌」という性格からだったそうです(^^;)
また、当時の巨人が強かったので、「強いチームへの憧れ」もあったそうです(^^♪
さすが、ジャイアンの愛称がぴったりと来てますね(^^;
まあ、この時のドラゴンズは、「ドべゴンズ」と呼ばれていたそうです(T_T)
悔しくも、この言われ方を懐かしいと想われる人もいらっしゃるのではないでしょうか!?
巨人からドラフト指名を約束されていた!?
愛工大名電高校では2年生から捕手でレギュラーを獲得、3年生時には
キャプテンを務めていた山﨑武司さん。
甲子園には縁がありませんでしたが、高校通算56本塁打を記録しており、
ドラフト会議前には周囲から『指名確実視』されていたそうです(^^)/
https://www.tokai-tv.com/tokainews/article_20210925_12056
山﨑武司さん自身は巨人入りを望みつつ、特に『中日・南海(現ソフトバンク)・広島』には
絶対行きたくないと考えていたそうです(; ・`д・´)
その理由は、南海と広島は全国的に人気が無さそうだと思っていたそうです(笑)
中日については、
『地元だと知り合いも多く、思う存分プレー出来ない』と、
考えていたそうです(^^;
おまけに、巨人からは、
『1位は阿波野秀幸(元近鉄)で行くから、外れ1位か2位で指名します』と、
名電高校を通じて確約を受けていたそうです(; ・`д・´)
そのためか、ドラフト前に何度もあいさつに来た中日のスカウトに対して、
『指名されても(ドラゴンズには)行きません』と伝えていたそうです( ゚Д゚)
案の定、そのドラフトの結果は、
阿波野秀幸さんを外した巨人は、外れ1位で木田優夫さんを指名、2位でも社会人の水沢薫さんを指名しており、
巨人から指名される前に2位指名で交渉権を獲得したドラゴンズに入団することになりました( ◠‿◠ )
指名直後は、
『ドラゴンズからの指名を受けた直後はがっかりした』らしいですが、
本来の目標は「プロ野球選手になる」ことだったと思い直し、ドラゴンズ入団を決意したそうです(^ω^)
また、この出来事があったため、巨人戦では、
『絶対に負けたくない、絶対打ってやろう』と、
打倒巨人に奮起していたそうです(^^)/
嫌だと思いつつも、ドラゴンズに入団して良かったと言えますよね(#^^#)
その当時の目玉が同級生の近藤真一さん(享栄高)で、ドラフトでは5球団競合の末、ドラゴンズが獲得、
その次の2位で山﨑武司さんを指名したのですから、
山﨑武司さんへのドラゴンズの評価もかなり高かったと言えるのではないでしょうか(^^♪
https://twitter.com/furinige2013/status/1270686650021089280?lang=zh-Hant
山﨑武司さんが本塁打王を獲得したのが入団して10年目の1996年でした。
もし巨人に入団していたら、そこまでは待ってくれなかったかもしれませんよね(=_=)
山﨑武司さんの努力もあったでしょうが、やはり地元選手だったというのも良かったのかも知れませんよね(^^;)
山崎武司の高校時代まとめ!名電ではピッチャー志望?実は巨人ファン⁉
皆さんいかがでしたか?
山﨑武司さんの高校時代を知ることで、現役時代をあまり知らなくても、
親しみを感じられたのではないでしょうか(^^♪
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2013/11/08/post_310/
中日・オリックス・楽天と渡り歩いた山﨑武司さんですが、
プロ野球生活をドラゴンズで終えられたことにとても感謝しているそうです(^ω^)
ドラゴンズは地元偏重で選手を獲るとも言われていますが、これからも良い選手なら
どんどん指名していって欲しいです(^^)/
特に『ロマン砲』が欲しいですね(笑)
最後までお読みいただきありがとうございました。